「あせり」「予定外」「キャパオーバー」はどこから生まれるのか?

どんどん壁が迫ってくる部屋。狭くなる。縮んでいく。「焦り(あせり)」は「焦点」という漢字と同じように、focus によって起きます。「フォーカスする」と「フォーカスさせられる」というのは同じようで全然違います。

対象の外に立っているのか、対象の内に立っているのか。「焦っている」という状態は、自分で何かにフォーカスしてしまっているときに発生します。あまり日本語として使われることはありませんが、実際は「焦らされている」という状況の方が多いかもしれません。

「焦」は「あせる」以外にも「じらす」という読みもあります。他者をからかったり、苛立たせる行為です。じらされる側はじらす側の内に立っているような状態です。ただ、やっていることは全て同じです。

例えば、車の中に閉じ込められたとします。車に「外に出たいかい?」と聞かれ、「出たいです」と申すと、「え〜、どうしようかな」とじらすわけです。「早く外に出たい」「本当に外に出られるのか」と、あせり始めるわけです。

「外に出る」ということにフォーカスを当てて、そればかり考えていて、それに集中していると、「じらされた」「あせらされた」という感覚が強くなります。

焦りは「汗」で表現されたりします。身体中の水が外に出て、自分の体を乾かそうとします。「汗が出るから乾く」のではなく「乾くために汗が出る」のかもしれません。体は本当に正直です。

あなたが今もしも何かを「焦っている」のであれば、何か特定の事象にのみフォーカスしていると言えます。それは「目標」とか「夢」とか「野望」といった、一見すると「とっても大事で、とっても大切なもの」という顔をしているものかもしれません。

もしくは「スケジュール」とか「予定」とか「約束」といった言葉で表現されるものに焦点を当てているのかもしれません。それしか見えないということは、それ以外は見えていないということです。視野が狭い状態です。「予定」に集中すればするほど「予定外」の範囲が広がります。つまり「予定外」のことが起きやすくなります。実際は勝手に「予定外」だと思い込んでいるだけなんでしょうけれど。

つまり「正解」を求めれば求めるほど「不正解」になる範囲が広がるということなのです。「間違えないようにする」ことに集中すればするほど「間違い」の範疇が増えますので、より間違うようになります。おもしろいですね。

「焦らないこと」に集中すればするほど、焦ることにつながるわけです。汗が出ないようにすればするほど、汗が吹き出すような。ソードシールド(矛盾)なんです。理が十分ではない、理を尽くさないから「理不尽」なわけですが、「理」で埋め尽くそうとすればするほど、「理」ではないものが広がっていきます。

「真の理」を追い求めれば求めるほど、嘘の理が増えていくわけです。「これは真理ではない」「あれも真理ではない」と「嘘の理ラベル」を貼っていくわけです。真の理の教え?そこに入っていない人は偽の理だってことかい?「真」は「中身がいっぱい詰まっている」状態。ぴっちり隙間なく詰まっている状態。たっぷり中身が詰め込まれた理。中身をいっぱいにしたいなら、容器を小さくすればいいわけですよ。キャパを小さくする。するとやっぱり、すぐに「キャパオーバー」になる。

焦り・予定外・キャパオーバーは、枠が出来ると生まれます。枠を作っているのは誰だろう。枠は作られたもの?枠は英語でframe。語源は古期英語 framian(成し遂げる)らしい。確かに小さい丸なら、すぐにいっぱいになる。満たされる。達成される。となると、焦り・予定外・キャパオーバーを解消したいなら、大きな器を用意する。大きな丸を描く。それでいいわけです。大きな目標や大きな夢のほうがいいのかもしれません。「世界征服」とか「宇宙支配」とか。

大局を掴む。大雑把。大体。なぜか「対象物から離れて自分が外側にいるとき」って「大」という漢字が使われるんですね。打ち上げ花火のように大きな丸を描くということは、自分は外側にいるんです。

「地獄」の「獄」は「区切りをつけたがる人たち」が集まる世界。獄で暮らす人々は、何か正解があるんですね。何かこだわりがあるんですね。裁縫針の針穴のように、小さな穴を通らないものは「不正解」で「罰」があったり、「やり直し」になるわけです。失敗にばかりフォーカスしてくるのが地獄なんですね。狭苦しい世界だぜ。「地獄」の「地」が「地球」のことを指すのであれば、地獄はどうやら地球にあるようですね。

区切りをつける。ケジメをつける。義理。道理。真理。正解。スケジュール。予定。約束。

あなたはどう?そういうの好き?得意?

僕は区切りをつけるのが下手なので、ブログはいつも突然終わりを迎えます。

インコ真理教 にしけい

 

インコ真理教 にしけいの余談インコ

 

「区切りをつけたがる人」は「田舎者」と表現できるかもしれません。これは決して特定の地域やエリアを揶揄しているわけではありません。「田舎者」というのは「住んでいる場所や地域」とは無関係だと考えているので、◯◯県は田舎だ〜と線引きしたいわけではありません。

都内にも田舎者的な人はいますし、地方にも田舎者ではない人もいます。もちろん地方のほうが田舎者が多いのかもしれませんし、田舎者が多いからそこが「田舎」になるのかもしれません。

裁縫針の針穴のように、小さな穴を通らないものは「不正解」になるので「排他的」になります。僕は自分も含め全ての人に「田舎者要素」があると考えています。特定の人や人たちが田舎者と認定されるわけではなく、誰しもの心の中に「区切りをつけたい」という心があるはずです。

特定の方面においては「小さな丸(許せないことが多い)」だけど、違う方面においては「大きな丸(許せることが多い)」という状態なのだと思いますし、田舎者か田舎者ではないかという議論はあくまで相対的なものなので、全く意味がありません。

あなたの中の「地獄」は、誰かにとっては「天国」かもしれません。逆も然り。

ちなみにインコは野生では捕食される側である場合が多く、体調が悪くてもバレないように隠そうと強がるらしいです。きついときはきついと言えるといいね。

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

小学生でもすぐに読める風水・地相・家相の本を書きました。読まれた方の頭の片隅に「風水・地相・家相ってこういうことをやっているのか」というイメージが少しでも残れば幸いです。

手相の入門書としてたくさんの方々に読んでいただいる1冊です。

日本で初めて花札を占いのツールとして体系的にまとめた入門本です。気持ちや感情の変化を読み取ることに長けた占いです。

方位作用?吉方位?凶方位?距離…気学の気になることを身をもって実験・検証した記録を綴った1冊です。失敗や家族を巻き込みながらも得られた「気学の本当のところ」をまとめています。

「手相占い」というものをバラバラに分解してこうなっているのかと観察する1冊なので、正直手相占いに夢や幻想を抱いている人は読まない方がいいです。でも、それが夢や幻想だと気付きつつある人には「薄々気付いていた曖昧なこと」を完全にぶっ壊してスッキリさせる1冊です。

気学(方位・家相・地相・墓相)はもちろんのこと、易、花札占い、手相、人相、顕現相術など幅広い占いでご活用頂けます。

占い・暮らしに役立ちそうなお話・講座のお知らせなど月に1〜2回配信中です。

ブログや無料メルマガでは書けない記事やよりクローズな話を月2回配信するメルマガです。

お買い物カゴ
上部へスクロール