【ジョジョ8部】理(ルール)を越えるための手がかりは何か。

本記事は大いにネタバレを含む内容なので、まだ読んでいない&気にされる方は目を閉じて読んでください。

ジョジョ8部(ジョジョリオン)を読んで。

ジョジョファンの間でも賛否が分かれる、最新作ジョジョリオン。2021年9月に連載終了。本誌の初見では「???」という部分が多かったものの、改めて読むと「ああ、やっぱりジョジョだよなぁ」となりまして。

6部、7部、8部…と回を追うごとに主人公のスタート地点が苦境になっていき、敵が強力になっている気がします。8部の主人公は自分が記憶喪失で誰なのかわからないところからスタートします。何が何だか分からない状況から、身の回りにあるものを利用しながら敵を倒したり、物語を進めていくスタイルは一貫してやっぱりジョジョだし、窮地に陥っても冷静に逆転の材料を探すのもやっぱりジョジョバトルならでは。

8部のボスは「岩人間」という岩と鉱物の間の存在。同作中に他の岩人間もちょくちょく出てきますが、人間の無機質な残酷さの象徴のような気もします。食虫植物のハエトリソウには昆虫が葉についた細い毛に触れると自動的に歯を閉じて捕食します。自身の生命活動を営むために淡々と他を狩る。今回の「岩人間」は自意識の強い人間というよりも、何の悪意も善意もなく無意識に他の命を奪う無邪気な残虐性のようなものが描かれていたと思いました。

そして、その岩人間のボスが「追跡しようとすると厄災が返される」というスタンドを使って主人公たちを苦しめます。今回は全体的に遠隔自動操縦型のスタンドが目立ちました。遠隔自動型のスタンドは簡単な命令に従って自動的に発動し続けるスタンドで、「自分に近づこうとする人に攻撃する」といったシンプルな動きを自動的に行います。5部のゴールドエクスペリエンスレクイエムも本体への攻撃などを含めて「目的(結果)に達しない」というスタンドでしたが、8部ボスのスタンド「ワンダーオブユー」も本体を追跡するものに厄災が起こるというものです。

つまり意識が特定の対象(本体)に向いた瞬間発動する自動操縦型のスタンドで、その対象に厄災が起きるというのは非常に厄介です。攻撃しようとすると厄災が起きるわけですから、攻撃すらできません。終盤にかけて「理」「条理」「摂理」といった言葉がよく出てきます。自分に危害を加えようとするものは自動的に排除する。「これも自然の摂理だ」と、ラスボス透龍は断末魔のようにつぶやき、自身の生き方を正当化するのですが、この「理(ルール)」とどう戦っていくかが今作では大きなテーマになっている気がします。

地震・火災といった災害は「自然の摂理」であり、特定の条件が揃えば発生するわけです。地球上で暮らしていると重力や引力が働いています。「理」があります。私たちはこのルールの支配を受けながら暮らしています。時には活用することもありますが、逃れられないルールもあります。8部では、家系のルールについても触れられていました。記憶喪失になった主人公がお世話になる東方家には、代々10歳の男児は石のように体が膠着して動かなくなり死んでしまう呪いがありました。

「理(ルール)」は「呪」にもなりうるわけです。家相や地相や墓相といった「相」と「現象」を観察しているなかで、この「理(ルール)」に縛られている…というのは非常によく感じます。家系の癖や流れ、そういった理があるのです。この理をまず知り活用しようというものが相術だし墓相や家系の相だと思います。でも「活用する」と一言で言っても、そう易々と活用できるものではありません。8部の中にあった「等価交換」という「理(ルール)」と同じように、それを活用しようとすると思わぬことが起きるのです。これは右下から下中央の混化へと流れるフェーズです。

この世に存在している時点でルールの縛りを受けます。肉体があり、生を受けた時点で「理」という「ルール」に縛られるのです。8部では主要キャラが終盤で死んでいきますが、彼らはその理を受け入れたように生きていきます。ある意味「覚悟をする」というのは運命を受け入れるというか、理(ルール)を受け入れることなのかもしれません。逃れられない、どうしても抗えないものを受け入れる。ラスボスを倒す最終的なきっかけを作った東方花都(ひがしかた・かあと)の覚悟も6部の徐倫の最期と重なりグッとくるものがありました。

ジョジョには全体を通して「外部から自分たちを特定の方向へ収束させるものへの抵抗」というテーマがあります。その外圧というか外からの力が作品を重ねるごとに強力になっていくのです。8部自体が東日本大震災がベースにある作品ですが、自然・災害といったものが外圧となり、それに抵抗しようとする人間の姿を描いているようにも見えました。それでいて、今作は「無意識」「無機質」な敵だったがゆえに非常に厄介だなと思いました。相手が人間ならまだしも、より外側から圧力をかけてくるので非常に強力な縛りが生まれるんですね。

自然や厄災という点でいうと、先日北海道で経験した「農業占」がとても印象的でした。種々のテーマを占わせていただく機会がありますが、「占いの原点」とも言える「農業占」を何占かさせて頂いたのは初めてでした。自然や災害といった「理」に対して先人達が「抗おうとしたもの」のひとつが「占い」です。

8部のラスボスの「厄災」に抗い、それを打ち砕いたもの。それは主人公がいろんな偶然が重なり生み出した「この世に存在していない回転」でした。読んでいて自分の中で強くこれが「占い」とリンクしました。

この「回転」というキーワードは前作7部でもラスボスを倒すきっかけとなった力です。7部のラスボスは平行世界を行き来する能力で、時間や空間ではなく次元を行き来するわけです。今思えば7部も「理(ルール)」を自分のために活用していたラスボスでした。この「理」を打ち砕くには「この世に存在していない力」が必要になります。この世に存在していないのに攻撃できるの?と思われるかもしれませんが、そこはフィクションです。でもフィクションでは片付けられないし、時間・空間といった物理法則を無視するものは存在すると僕も考えています。

僕は占いを生業としているので、それは占いの中で感じます。時間や空間という理を超えて、現象を捉える。そういう瞬間が本当にたまにあります。好奇心とも違うし、知りたいと思う気持ちともまた違うし、思考や類推とも違う。もちろんやっていることは思考や類推や連想に近いんですけど、それはなんというか補助的な位置付けで。もっと「いろいろなものを無視したもの」があるんですね。そのひとつが僕は易の世界にあるのではないかと考えていまして。

実占では易の「いろいろなものを無視した世界」に出くわすことがけっこうありまして。それが「理(ルール)」を超えたものに近いのではないかと考えています。「より外側にあるものの力を借りる」というか。そして、それを活用するためにはやっぱり「エゴ」とか「自分」とかしょうもない「理」に縛られていては辿り着けない気がするんですね。だから「易」とは言いましたけど、術にこだわったり、じゃあ易がすべてかと言われたらそうではないとも思っています。一番自分がこだわらない世界、縛りがない世界、それが理を越えるためのツールになりうるのではないかと思います。

8部の主人公も「理(ルール)」を越えるための回転する能力(ソフト&ウェットゴービヨンド)をうまくコントロールできているわけではありませんでした。なんか占いをやっていて、そういうコントロールできない「見えない力」を感じることがよくあります。こんなことを書いている人がよく、理系の大学院を修了できたなとつくづく思いますが、一度「理の世界」にどっぷり浸かったからこそ見えてきた世界なのかもしれません。

家相や地相や墓相や家系は「理」の世界だと思っています。AならばBというルールが非常に強烈に出ます。こういう「理の術」もすごく好きなんですね。「おおぉ…やっぱりか…」とルールの強烈さに痺れるものがあります。家相や墓相といった人間社会のルールとはまた少し違った理によって縛られて起きていることっていっぱいあるんですね。まず、これを認知している人が少ないです。これを認知しているからすごいことだとは思いません。ただのルールの軸が違うだけだからです。違った理を知る人が見たらまた違った世界が見えてくるはずですから、それが全てだとは一概に言えません。

でも、ジョジョ8部を読んで僕の中で確信に変わったことは、僕の人生の目的は「理を飛び越える何か」を模索することなのかもしれません。それは「呪」でもなく「縛り」でもありません。どういう形でそれを認識できるかわかりませんが、手がかりとなるシッポが見えているとしたら今のところは易にある気がしています。しかしやるべきことは、術にこだわらず実占あるのみです。

いや〜先はまだまだ長いけど、また違ったフェーズが見えてきて、それを言語化できたのは非常に嬉しいです。やっぱり定期的にジョジョは読まないとダメですね。8部は他の部に比べて読み込みがまだまだ甘いので、隙あらば読もうと思います。

(ハンターハンターや呪術廻戦も大好きなのですが、これらは「理」の要素が強いんですね。複雑な理をいかに使うかみたいなところに焦点を当てているようにも見えます。もちろんイレギュラーも起きて理を越えるような出来事も起きるわけですが、引力や重力を越えようとするという要素はジョジョのほうが強いかもしれません。あとは聖闘士星矢あたりも理を無視するところがあり嫌いではないのですが、あまりにも無視しすぎているので、ある程度の秩序(縛り)あっての打破に心が揺れ動くのかもしれません)

にしけい

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

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