自分が気づいていないところで甘えたり頼ったりしているかもしれないって話

物心ついたときからいつもギリギリでなんとか生きてきているのですが、ギリギリで助けてもらいながら生きているので「助けてもらってばかりの人生だなぁ」といつも思います。だから自分が誰かを助けているとか、貢献しているとかそういうことってあんまり思ったことがなくて、それでも役に立てるなら全力でやりたいなと思うわけです。

たまに「私は人に頼るのが苦手」とか「自分は甘えるのが下手」という人がいるのですが、助けられてもらってばかりの僕からしたら、気づいていないだけで本当はいろんなものに助けてもらって、頼らせてもらって生きているのでは?と思ってしまうのです。

おそらくここでいう「頼る」とか「甘える」というのは「精神的な支え」みたいな意味だと思いますが、これってけっこう気づきにくいんですね。

本人は気づいていないかもしれないのですが「まわりにキツくあたる」とか「感情をぶつける」という行為も実は「甘えている」「頼りにしている」からできることなのです。それは決して悪いことではありません。そうやって感情をぶつけられる相手がいるということは実は幸せなことなんですね。

でも、その行為が「相手に甘えている」と気づけないといつまで経っても「自分は甘えるのが下手」「なんでいつも自分のまわりには頼りない人が集まってくるんだろう」と不公平感を募らせるのです。

「やってもらうこと(take)」よりも「やってあげること(give)」に敏感になっていると、自分が甘えていることに気づきにくいのです。なぜ自分が「やってあげること」に敏感になっているかというと、自己肯定感が低かったり、本当は自信がなかったりするのですが、それを認めたくないからそうなるのかもしれません。「やってあげている」「貢献している」ほうにフォーカスすることで、自分の存在を肯定したいのかもしれません。

極端な話かもしれませんが、鉛筆1本を自分で作るためには莫大な労力と時間がかかる…という話があるように、「今の生活」はたくさんの人たちの努力と活動のおかげで成り立っています。無人島に行って自給自足する…という状況を想像したらわかると思うのですが、多分「人に会えるだけ」でもすごく感動すると思います。

身近な人、遠い人も含めて「自分が甘えていること」に気づきにくい状況になっている人は、一度「外に出てみる」といいかもしれませんね。家族にキツくあたってしまうなら家族から離れるとか、職場で自分ばっかり大変な目にあっている…と思うなら会社を出てみてもいいかもしれません。逆に「今がぬるすぎる」からそのようなことが起こるのかもしれません。初めてのことやきついことをやると、助けてもらってばかりで自然と「ありがたや…」「申し訳ねぇ…」という言葉が出てきます。

「甘えるのが下手」「頼るのが下手」という人はいずれにせよ今の環境を変えて「新しいステージ」に進むべきときなのかもしれませんね。

 

この記事を書こうと思った発端

 

発端は姉とのやりとりです。

 

 

いつも「自分は甘えられなかった」と口癖のように言っていた姉ですが、上のやりとりは僕に甘えているんですが、これわかります?

「近い」と感じるのか「遠い」と感じるのかは人それぞれですよね。移動手段によっても「近い」と感じるか「遠い」と感じるかは違います。

交通手段を指定されて聞いてくるなら「◯分ぐらいかかる」と答えることもできますし、最速ルートを聞かれているなら「地下鉄かな」とか答えることができるわけですが、「近い?」という質問ではそのような背景がわからないわけです。

このような質問が来た場合、質問に答える人が自分なりに「想定する」「想像する」時間と労力が必要になります。場合によってはさらに質問を聞き返す必要があるわけで、この質問ひとつで「姉は答える人について何も考えていない」ということがわかるわけです。

この質問に対して僕が答えられるのは「距離」のみです。それを「わかりづら(笑)」と返すのは「自分の気持ちを察して欲しい」とか「弟なら自分が求める答えを返してくれるだろう」という「甘え」が背景にあるわけです。

そもそも検索すればすぐに出てくることを聞いてくるのは甘えているに他なりません。LINEでやりとりできるネット環境があるわけですから検索したほうが圧倒的に効率もいいし、早いです。

こういった「何も考えていない質問」「漠然とした質問」「雑な質問」をするのも厳しいかもしれませんが「甘え」なんですね。でも、当の本人は「私のほうがしっかりしている」「弟は意味不明な返事をしてきた」ぐらいしか思っていないんですね。身内だからいいますけど、本当にアホな姉ですよ。弟は怒ってます。

でも、この出来事がきっかけで「もしかして自分は甘えるのが下手だ」とか「いつも頼られてばかり」と言っている人は「自分が頼って生きていること」「助けられて生きていること」に気づいていないのでは?ということに気づけたので結果オーライです。ありがとう姉よ。

悪意ある邪悪な弟なら地下鉄で270円で行けるところを「タクシーでしかいけないよ!」と答えたかもしれないけど、僕は善良なる弟だからそんなことはしませんでした。お互いwin-winになってよかったね。

 

この記事で言いたかったこと

自分が想像していないところでお世話になっていることはいっぱいあるし

誰かにやってもらってることがいっぱいある

 

もし「甘えるのが下手」「頼りになる人がいない」という人は環境を変えて新しい世界に飛び込みどきなのかもしれません。

 

本当にいつも甘えてばかり、頼ってばかりですみません。ありがとうございます。これからも頼りにしています。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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