「そうじゃないパターン」があなたを「おそれ」から開放する

過去に「おそれ」について似たような記事を書いていますが…

その探究心やインプットは「おそれ」から生まれているかもしれない。

失うものがないのにおそれる人たちが多すぎる原因は何なのか?

 

より「おそれ」というものを抽象化して捕捉することで、自分の状況および具体的解決策を把握することができると考えています。なので「おそれ」がなぜ起こるのか、その発生条件などを考察してみます。

 

「おそれ」はすべて主観が作り出している

おそれだけではなく観測可能な事象(気づくことができる事象)は全て主観が作り出しています。客観・俯瞰というものはどこまでいってもありません。

たまに「私は俯瞰力が高い」とか「客観的に物事を見て判断することができる」と自称する人がいます。このような言及をする人々が見ている世界がどのようなものなのかわかりませんが、自分自身の目玉を自分の目で直接観測できないのと同じで、通常の思考だと客観性・俯瞰性というものはどこまでいっても怪しいもので、主観(思い込み)が入ってきます。

このことから「おそれ」も主観が作り出しており「客観的に見て怖い状況」とか「冷静に考えて恐ろしい」といったことはありえません。何を言いたいかというと「おそれ」ることによって得られる「結果」が狙い通りかどうかは全く関係がないというわけです。

例えば「賞味期限切れの牛乳を飲まない方がいい」という言説があったとします。この場合のおそれは「賞味期限が切れた牛乳を飲むとお腹を壊す可能性がある」ということをおそれていたりします。

しかし実際にそれを飲んでみてもお腹を壊さない場合もあります。つまりこの場合の「おそれ」は絶対でもなく適切でもなく、結果的に「客観的に見て正しい考え」とは言い切れません。

余談ですが、腐ったものを食べてお腹を壊すのは動物界の中では人間だけらしいです。他の動物は本能的(匂い?五感?)に腐ったものとそうでないものが分かるらしいのですが、人間はそのあたりが退化している…という話があります。「食べたらヤバいもの」が自明になるのであれば、賞味期限などを付与する必要はありませんし、気にしなくてもいいと思います。

しかし「ヤバいもの」を見抜く力が衰えてしまったがゆえに、知識や情報でカバーしています。そしてこの知識や情報こそが「おそれ」を作り出す要因にもなっており、良くも悪くも「過剰に働いている」状態の人が多いように見えます。

 

おそれ=そうならないパターンを考えられないとき

自分がおそれているときどういう状況だったのかを思い返してみます。

直近で一番おそれが強かったのは、2年前ぐらいに会社を辞めようと心に決めたタイミングで第三子を授かったことがわかった時期です。

未知の世界へ行こうとしているときに、自分の中でも未知数の「3人目」の子が増える。このときは非常におそれていました。

何をおそれていたかというと「独立してきちんとお金を得ていき家族を養うことができるか」というおそれです。

このとき僕は「うまくいくかもしれない」という選択肢が浮かばず「だめかもしれない」という選択肢に固定されていました。つまり選択肢を自分で減らしていたのです。

おそれや不安が生まれるのは「そうならないパターン」を考えられないときに発生するようです。1つの答えのみに収束していき、それしか選択肢がない状況を自分で作り出したときに生まれるようです。

選択肢が1つしかないので「一面的」にしか物事を見られなくなりますから、自然と「善悪」の観念が生まれます。ひとつの固定化された軸が生まれるので「その軸に沿ったことは善」で「その軸に沿っていないことは悪」という明確な基準が生まれます。

つまり善悪の観念が強い状態は「おそれ」が強い状態とも言えます。より「正しいもの」や「正解」を求める姿勢なのでおそれが強い人ほど理論や絶対的なものを求めて自己防衛をはかろうとするわけです。

おそれは「パターンAしかない」という思い込みが作り出しています。つまり先述したように「客観性」とか「実際の正しさ」とは無関係で、本当は飲んでも大丈夫なのに「賞味期限切れの牛乳を飲んでも大丈夫だったパターン」を生み出せず、牛乳を捨てる…という行動につながるわけです。

 

「死ぬパターン」しか想定できないと本当に死ぬ

例えば、好きな人に告白しようとしたとき「おそれ」や「不安」が生じることがあるかもしれません。

このとき自分は「どんなパターンをおそれているのか?」を言語化してみます。

・彼に嫌われる可能性
・彼との関係性が壊れる可能性
・同じ組織にいるのでふられると気まずくなる可能性

必ず「○○になる可能性」という風に書き出してみます。

そしてそれとは反対の「そうならないパターン」も書き出してみます。

・彼に嫌われない可能性
・彼との関係性が壊れない可能性
・気まずくならない可能性

こういった「そうならないパターン」もあるかもしれないと考えてみることが大事です。

そして最初に書き出した「おそれ」につながるパターンの対処法を考えてみます。

・彼に嫌われる可能性
→他に好きな人ができるかもしれない

・彼との関係性が壊れる可能性
→壊れたらそこまでの関係だったと割り切る

・同じ組織にいるのでふられると気まずくなる可能性
→組織を変えてもいいかな

思いつく限り対処法を考えてみます。他の人に案を出してもらってもいいかもしれません。

そうこうしているうちに「おそれ」が少なくなっていきます。なぜなら「柔軟性」と「おそれ」は対義語だからです。

そして何度も言うように「おそれ」に外的要因は関係なくあくまで自分が作り出しています。

どのような絶望的状況でも「そうならないパターン」を考えることができれば「おそれ」にはつながりません。逆に本来はとても安易に解決できるような状況でも自分が「こわい!」と思って1つの選択肢しか思いつかなかった場合、それが行動を制限し結果的にダメになるパターンがあります。

窮地に追い込まれてもう死ぬかもしれないという状況に陥ったときでも「私は生き残るかもしれないパターン」に頭を切り替えていけば、本当に生き残るパターンが見つかって生き残れる確率が高まります。「死ぬパターン」しか想定できないでいると何も生まれず、ドラマや漫画のように助かることはなくそのまま死んでいくかもしれません。

もっと身近な例だと「うちの会社副業禁止なんだよね」という男性がいたとします。ここで「できるパターン」を前提に考えていくと「お金のやりとりや代表を奥さんにお願いすればできるじゃん」とか「奥さんや家族がいなかったら信用できる知人に頼めばいいじゃん」とかそういうアイディアがポンポン浮かんできます。できるパターンで考えた方が本当に建設的なのです。

 

未知=おそれ ではない

あとは「未知=こわい」という考えがあるかもしれませんが、これも誤りです。

僕が会社を独立する際に陥ったような「おそれ」は「未知」に対するおそれです。わからないからこそ選択肢が生まれない、柔軟性を失っているパターンです。

このときも柔軟性をもって「そうならないパターン」を妄想していけば建設的かつ具体的に対策を生み出すことができるのですが、どうしても柔軟性を失うと「ダメになるパターン」に関する情報のみを集めたがったりします。

実はこの柔軟性を失う、つまり「考えを固定化させる方向性」というのは決して悪いことではなく「合理化」を図るという点では非常に効果的です。選択肢を減らすこと自体は悪いことではないのです。

しかし「固定化」が過剰になると本当に身動きが取れなくなります。これが「おそれ」が強い状態です。身動きが取れない状態というのは実際の「肉体」にも作用してきますので「動けなくなる」状況を作り出すので、肥満やフットワーク鈍化につながります。

肉体は素直なので「固まる方向性に進めるのであれば、僕(肉体)も脂肪増やしたり、病気になってがんばって動かないようにするね!」という具合に動かない方向性に進んでいきます。

未知自体が「おそれ」を作っているのではなく、あくまで自分で選択肢を減らし、考えを固定化させ、仕舞いには「病気」になり肉体ごと固定化されていくのです。

そうなってくると、実は「不安」というのは「安定(固定)」から生まれているのであって「不安です」というのは十分安定している状態だからこそ生まれる感情なのです。

 

洗脳は「そうじゃないかもしれないパターン」を減らす

となると、洗脳というのは簡単なことで「相手の選択肢を減らせば」簡単に洗脳できます。

「そうじゃないかもしれないパターン」を柔軟に考えられないようにするわけですから、洗脳・奴隷化・大衆扇動(プロパガンダ)の仕組みも同じで「選択肢を収束させる方向性」を作っています。

基本的にゲームとかで強い人は「自分の選択肢を増やす」と同時に「相手の選択肢を減らす」ことをやっています。また、漫画や映画などで「敵キャラ」とされるキャラクターは「死」をはじめとした「相手の選択肢を減らす」ことを生業にしています。

逆に洗脳を解く方法も簡単で「そうじゃないパターン」を増やしていくことで、開放されていきます。

これを東洋思想的な言葉で表現するなら

選択肢を奪う= 陽→陰 収束/消極方向 <坤起点の循環>
選択肢を与える= 陰→陽 拡散/積極方向 <艮起点の循環>

になるのでしょうね。

ちょうど「昇ろうとする太陽<艮>」と「沈もうとする太陽<坤>」がリンクしてくるわけです。

あなたは自分の選択肢(可能性)を増やしたいですか?減らしたいですか?

にしけい

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