たぶん「自分」は必要なくて、無力でいい。

過去の記事でも何度か書いているかもしれませんが、占いをしていると「自分」をいかに消せるかが大事だと思うんですよね。

大きな流れがあって、そのなかの一粒の砂みたいなイメージで、すごく無力な感じがあるんです。しかし、この「無力」は劣等感があるとか、自分を卑下する感覚ではなく、むしろ「自分を全うしている」という感覚に近いんですね。

相談された方が、特定の方向性に向かう途中で、ただそのあたりに転がってる石ころみたいなものなんですね。だから、そうなる人は、そうなっていくんですね。

あとやっぱりエゴとか常識とかを捨てたほうが結果的によく当たりますし、より遠くまで見渡すことができる感覚があります。自分を消して一つになったほうが、相談された方も一番無駄がなくスマートな感じで「そうなっていく」という感じなんです。

どうしても、エゴがあると分離や違和感が起きるんですね。

下記のような気持ちがあると、だいたいエゴが混じって占いという場の純度が下がります。

 

・助けたい
・役に立ちたい
・期待に応えたい
・すごいと思われたい
・過去の実績がある(orない)
・失敗しないようにしたい
・威厳を保ちたい
・勉強不足だけど大丈夫かな
・何か有益なアドバイスをしたい
・相手を導きたい
・相手をコントロールしたい
・また来て欲しいor呼ばれたい

 

例えばですけど、音楽のライブやコンサートといった場は「パフォーマンスする人」だけでは成立せず、「お客さん」がいて初めてその場が成立します。

そして、「パフォーマンスする人」と「お客さん」がひとつになることで、ライブやコンサートの場が醸成されていきます。どちらか一方が「エゴ」を出したり、打算が入るとおそらく歪みが出てきます。双方の「純粋にライブを楽しみたい」という純度の高さが、良い場を作りあげるはずなのです。

占いの歴史や文化を辿っていくと、「占い」に政治的、作為的な「意図」を込めていた人たちがたくさんいることに気づきます。

でも、実際やっていくと占いは「生き物」という感じがあって、もっと自由でのびのびとした存在であるときが、一番美しいというか、真価を発揮すると思うんですね。

なので、この生き物が羽を広げてのびのびとする様子を邪魔しないように、エゴや作為を混ぜないことが大事な気がしています。

きっと、占い以外もやっていくと「そういう感じ」だと思うんですよ。だから、こういう考えすら特別なことではないと思っていますが、いちおう「占い」という世界もやっていくと「そういう感じ」が見えてきますよーという報告記事です。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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