占いにおける「型作り」「型破り」「型落ち」のお話。

先日、とある武術教室に参加してきまして。投げたり投げられたり転がったり…筋肉痛が残りながらも、体(現実)に落とし込むことの難しさを改めて感じております。やはり反復して何度も行うことで「無意識」に達することができるのかなと痛感させられた教室でした。

占いでも新しい「知識」や「情報」を取り入れると、そこばかり気になってしまったり、そこばかり見てしまうという「部分へのとらわれ」が起きます。意識がそこに向いてしまうんですね。何度もやっていたり、一度近い術を無意識レベルまで使えるようになると「ああ、あれの応用ね」という感じになってきます。しかし、自分の中に馴染む(混化)まではやはり「異物感」があって意識がそこに集中してしまいます。一般的な占い書籍は実は「部分」ばかりを羅列しているものが多いので、部分のとらわれが強くなる内容が多いです。そういったものをぶっ壊そうという試みのもとこれまでにも書籍を書いてきていますが、やっぱり一般的な「部分羅列本」のほうが最初はとっつきやすいので仕方ないかなという部分はあります。

僕もそうでしたが、占いを学び始めのころは「外部からの情報」や「知識」といった「部分」にとらわれやすくなるのですが、ある程度慣れてくると今度は「自分がやってきたこと」にとらわれるようになります。「経験」「使い慣れたフレーズ」「先入観」「自分が編み出した術」といった「部分」にとらわれるようになります。こういったものにとらわれるのは、ある意味自分自身が成長した証拠でもあります。自分の中に「テンプレート」のようなもの、つまり「型」ができてきているから起きる現象です。何でもそうですが「型」は大事です。

しかし、今度はこの「自分が積み上げた型」が仇となり当たらなくなったり、独りよがりな思想に陥ったりします。自動車や家電でも「型落ち」というものがあります。最新型が出たために古い型式となった製品のことを指します。占いもアップデートしないと型落ちするんですね。「型が落ち着いてしまう」とか「型に溺れ落ちていく」というニュアンスになるかもしれません。

武術でも今までの自分が使っていた型を打ち壊すことで次の型が生まれます。自分が生み出したもの、自分が育て上げたものを自分の手で壊す。そうすることでSyntheseが生まれ、より外側の世界から自分を眺めることにつながります。少しずつ外側に外側に出ていくことで、実が膨らむようにいろんなものを覆うことができるようになります。

これは占いも同じです。どうしても「これまで自分が作り上げたもの」「自分が得たもの」にしがみつきたくなります。人々に賞賛されたり、チヤホヤされるとなおさらです。お山の大将になると、エゴが肥大して膨らんできて「維持したく」なります。でも、これをぶっ壊すことが世界を広げ「無意識」を作り出すことにつながります。

講座などで「どこを見たらそういう判断になるのですか?」とか「なぜそのような判断になるのですか?」と質問されることがありますが、「ここを見ます」とか「◯◯だからです」と僕が答えてしまうと、そこにとらわれてしまうことにつながるので説明に困ることがよくあります。この質問に真面目に答えるとしたら「特に何も考えていません」とか「特に理由はありません」となってしまうんですね。いちおうそこで「それっぽい理由」を述べるんですけど、本当はそれはしたくないんですね。でも、教える立場にある以上そこは答えなければいけないというジレンマがあります。本当は何も考えていなかったりするんですけどね。見ているようで見ていないというか。聞いているようで聞いていないというか。

また、占う中で「正解だったか」とか「あの判断は正しかったのか」というのも実はエゴだったりします。お客さんにどう思われているかとか、評価はどうかとか、ちょっといいこと言ってあげようとか、助けてあげようとか、そういったものが入るとこれもやはり「部分」にとらわれることにつながります。「共感すること」を求められている場合もあるので、これらが一概に悪いとは思いませんが、共感すると相手がもっている固定観念や常識といった「部分」にとらわれることになります。

「相手がどのような部分にとらわれているか」を見極める必要があるのに、自分自身も部分にとらわれていたらそれができません。目隠しをした状態でお互いの体を触り合って確認しているような状態になります。なので、まず自分が「部分」から離れる必要がありますし、相手との間合いをとる必要があります。

しかし、あまりにもここに書いてあるようなことに忠実になりすぎると、極々限られた世界に入っていってしまうので、それはそれで考えものです。また新しい「部分」ができてきて、そこにとらわれてしまいます。なので常に「自分は今この部分にとらわれているのではないか」と疑い、壊す必要があります。信じ切るのは楽です。何も考えなくていいので。それはそれで幸せです。ハッピーです。しかし、居心地の良い部分にとらわれるとそこから成長はありません。

「成長すること」が全部善だとも思いません。それは「成長すること」にとらわれてしまうからです。しかし、この「型作り」と「型破り」のサイクルが早いほどより外側にいけることも事実です。(上と書くとなんか嫌な感じがするので、「外」と表現します)

というようなことを、投げられながら考えていました。何でもそうですが、プロの技術は本当に無駄がないなと思います。そして美しいです。そこにたどり着くまでに数えきれないほどの「型作り」と「型破り」を行ってきたんだろうなと思います。そしてそれは「部分」との戦いで、頂点に立った上でもそこにとらわれない人の技術はすごいなと感心させられました。腰にシップを貼りながら、僕もまだまだ占いを極められるな…と思いました。「外側」にいくと「内側の世界」が見えるようになってきて「自分の城」とか「自分の居場所」に人を招き入れたくなるようなのですが、僕はそこをさらに離れてより無差別・無分別の世界を極めたいなと思いました。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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