にしけい ポン

あの、目的・益を追求することに疲れました。これは無意味な記事です。

『自由』

『自分の好きなことをして生きる』

自分が今までしてきたこと、ブログを書くことを含めそれは真に自分の好きなことをしてきたのか?

ブログを書くことすら、他人を意識して、見栄や知見をひけらかし

誰かを啓発しようと、あるいは奮い立たせようとしていたのではないか。

それは純粋に自分がしたいことなのか。

『ブログを見やすくする』

『ツイッターでつぶやく』

『Facebookに投稿する』

他人を意識して『目的』が発生してしまっていなかっただろうか。

『読んでもらう』『誰かのためになる』そんな目的を持ってしまっている時点で自分の純粋な気持ちを書けているのだろうか。

あなたの行動は本当に真の純粋なあなたから発生した欲なのだろうか。

何か『目的』や『意味』をもたせようとしていないだろうか。

僕はここ最近の自分の行動に『目的』や『意味』をもたせないと意味がないと考えるようになってしまっていたことに気がついた。

僕の行動によって、それが誰かしらの何かしらの『益』につながるように。

『益』を生み出さないものは、やる意味がない。

意味がないものはやる意味がない、と。

それぐらい『益』のことばかり考えている自分がいて、自分はそんなことのために生きているのかと考えるとサラリーマンの仕事を辞めたくなった。

益の塊である、目的の極限形である『仕事』なんかしている自分なんか生きている意味は無く、消えてしまえばいいのにと強く願った。

お前は真にやりたいことをやるのではなく『目的のために』生きているのか。

目的があることしかできなくなっている目的信者として生きている自分。

急に目の前が真っ暗になった。

消えてしまいたい、目的から解放されたい、仕事を辞めたいと考えたとき。

インフルエンザA型に罹患した。

おそらく、自分がそれを引き寄せた。

目的ありきで、純粋に自分がやりたいこともできない自分の肉体を蝕むためにウイルスを呼んだ。壊して欲しかった。

無駄なことをしたかった。余白が欲しかった。

目的のあることをしたくなかった。だから風邪が治ってからもブログが書けなかった。

何か意図や意味が発生してしまうから。

書いても書いても『わざとらしい』ものばかりだと感じて消しに消した。

今後の世界は。

ジョージオーウェルの小説『1984』のように超監視社会になると予想されている。

SNSやブログといったネット上に発信された膨大な情報からGoogleが開発したAIが情報を処理して『どんな人物か』を評価する。

それが価値になり、全てになる。

学歴社会に代わる新たな指標をAIが作る。

SNSやブログで自分の情報を発信していない人間は『精一杯生きていないもの』としてカウントされるのだろうか。

 

僕の妻は発信をしていない。

となると、妻が作ってくれた手の込んだ料理や、きちんと洗濯され丁寧に折りたたまれたタオルも評価されなくなってしまうというわけだ。

なんか悲しい。そしてなんだか虚しい。

『評価されるため』に発信する。なんだそれ。

先生に褒められるために挙手して意見を述べようとする滑稽さがこみ上げると同時に自分のブログやSNSもそうだったのではないかと考えると、急に消えたくなりインフルエンザを引き寄せてしまった。

僕が寝ていた場所の天井には黒い僕の頭部の形によく似た黒いカビが生えた。

その様子を布団の中から眺めて、僕は笑ったりもした。

黒い邪悪なものが二酸化炭素と一緒に自分の中から吐き出されていたのかもしれない。

無駄が許されなくなると、自分は病んでしまうらしい。

それから。それから。

僕はSNSやブログで『好きなことやってまーす、好きなことやろうよー』みたいなキラキラ輝く(輝いて見せている人)たちが眩しすぎて直視できなくなってしまった。

それは羨望の念も四割ぐらい入っていたのかもしれない。

しかし、半分ほどは『目的中毒者』だと批判した目で見ていた。

さらに残り1割は憐れみだったのかもしれない。

とにかく自分がそうだったように『益』の匂いがプンプンして吐き気がして、すべて閉じてしまった。

『誰かのために何かをやるのは悪いことじゃない、いいことじゃないか』

という言葉を思い浮かべる人もいるかもしれない。

しかし、そんな眩しすぎる言葉を僕は直視できなかった。

夜道で車のライトに呼応してキラキラひかる反射テープのように。

『わかったわかった。お前さんがそこにいるのはわかったよ』と、うんざりした。

ここ1年の自分は圧倒的に『無駄なこと』を排除してきて、無駄なことが全然できていなかった。

すべて意味をもたせて、理由をつけようとしてきた。意味がないことをやらない、お利口さんでいようとしていた。省エネのケチケチボーイに成り果てようとしていた。

最短コースで生きる。なんの寄り道もない、家と会社だけを往復するような味気のない行動を取ってきたように思う。

このブログにこうして『無駄なこと』『誰の役にも立ちそうにないこと』をダラダラ書くことも忘れていた。

何かの役に立たなきゃ意味がないと勝手に思い込んで、無意味を排除してしまっていた。

その結果何が起きたか。それは『感情の排除』だった。感情が邪魔になった。なぜなら感情は無駄なものだから。

感情を押し殺し、機械のように生きようとしていた。それはそれでうまく生きていけた。うまくいった。

Google先生も褒めてくれるだろう。会社も人間関係もお金もそれなりにうまくいった。そつなくこなせた。

しかし、何にもおもしろくなかった。死んでいるのと同じだった。息苦しくなって、ウイルスを呼んだ。身体は素直だった。精神は耐えられなかった。

僕にはお利口ちゃんは無理だった。

他人のために、他人から評価されるために生きないようにするなんて難しいことかもしれない。

心が素っ裸の人なんて1人もいない。誰かから認められたいという気持ちから作られた服を着て生きている。

だけど、だからこそ。

人間の。僕の。気持ちを。無駄を。無意味を。

もっともっと素直に出していいのではないかと思う。

『他人に認められたいという気持ちも素直で純粋なものでしょ』と、おっしゃる人もいるでしょう。

いやなんですよ。その『すべて許しちゃえ』みたいなスタンス。

『そんな自分もすべて受け入れちゃえ』みたいな。なんでも鍋にしちゃえみたいなノリで包容力見せつけるのやめてください。

『受け入れたくない』という感情の部分、つまりここでいう『無駄なもの』を有意義なものにしようとしちゃえみたいな魂胆が見えちゃって本当にちょっと気味が悪いポジティブさなのよ。

誰に見せるつもりもなかった恥ずかしいラクガキを無理やり引っ張り出してきてメルカリに出品されるような強引さがあって

『ダメな自分も受け入れちゃえ』みたいなノリは今はちょっとついていけないです。すいません。

というわけで、このようにただのポエミーな感情論(なんの益にもなりそうにもない無駄・無意味なこと)もまた書いていこうと思う。

人間がひとりいなくなったところで、世界は変わりなく回り続けていく。

それぐらい自然や社会はよくできていて、もうすでに完璧に順調にできている。

僕が死んでも、あなたが死んでもみんなの明日はそこまで変わらない。

でも、この完璧すぎる循環(球体)を崩すには感情(無駄)が多少必要で。

完璧すぎる循環をたまに破壊してやらないと、新しいルートが生まれない。

だからこそ『セックスしてぇなぁ』ぐらいの無駄な愚かさも時には必要なわけで。

誰かが言ってたけど、『思念』だけは次元や時間を超えて情報として飛ばせるらしい。

意味をもたない情報で、GoogleのAIも、完璧すぎる陰陽の生長循環も乱して、壊してやる。

おそらく、それがあって『本当の完璧』になる気がする。

ああ、ダメだ。それじゃ意味をもっちゃう。

無駄なことをするって至難の業だなあ。

にしけい

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西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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