年末年始やお盆の時期は「親子」や「家族」の連絡や会合も増えるのではないでしょうか。
家族との接触が増える中で、情報がアップデートされていないがゆえに起こる人間関係のトラブルも多いのではないでしょうか。
人間はいつまでも若くありません。日に日に変化していきます。
僕も久しぶりに両親に会うと「老けたなぁ」とか「衰えてきたなぁ」と感じることがよくあります。
この「歳とったなぁ」という感情がなぜ生まれるのかというと、「若い頃の両親」と「比較」することで生まれてきます。
その人物と触れ合っていてもっとも鮮烈なイメージ、厳密にいうと「その人に対して固定したいイメージ」がどうしても頭の中にこびりついているのです。
昔はこれぐらい歩いても元気だったよなぁ
よく抱っこしてもらったなぁ
ハキハキとしゃべっていたよなぁ
計算も早かったよなぁ
といった両親の若い頃のイメージが強く残っているからこそ「比較」して落胆したり、絶望したり、悲しくなったりするのです。
「イメージ」と「現実」のギャップがあり、久しぶりに会う人は「現実の情報」が頻繁にアップデートされません。それゆえどうしても「イメージ」のほうが先行してしまい、現実を見てモヤモヤ・イライラが起きるのです。
これは子供から見た親に起きるパターンと、親から見た子供で起きるパターンもあります。
あんなに小さかったのに
ずっと泣いていたのに
家族や家に甘えてばかりだったのに
一人では何もできない子だったのに
こういった「子供の頃のイメージ」が固定化されている親側も、トラブルの原因になっているようです。
最近は核家族化・単身化も顕著になっていますから、こういった「元同居人」との人間関係のトラブルが起きやすくなっています。
イメージの更新
このトラブルの原因になっている「イメージの更新」は「現実」を直視することで、ようやく更新されます。
接触頻度が少ないと、イメージの更新は起きにくいのですが、仮に高頻度で接触していたとしても、本人が「あの頃のままのイメージでいてほしい」と更新を拒否した場合、更新が起きません。
あの頃の可愛い真由子ちゃんでいてほしい
昔のような上品で綺麗なおばあちゃんでいてほしい
ずっと力強く元気な父親でいてほしい
悠太は大人になっても昔と変わんないんだから
こういったイメージの更新が起きないパターンは、家族や親戚以外の人間関係でも起きます。
会社にいたころはだらしないヤツだった
子供が生まれる前は優しかったのに
あの人って今もヤバい業界で仕事してるんでしょ
なんか昔はもっと◯◯だったのに
疎遠になると「イメージの更新」が行われにくくなるのと同時に、相手への興味関心や尊敬がなくなると更新しようとする気持ちすら薄れていってしまいます。
「自分がもっている相手のイメージ」=「自分が見たい相手のイメージ」であり、それは幻想で妄想です。
固定されたイメージを手放す
急激に現状や考え方が変化することもあります。
頼りない小学生が数年でIT企業の社長になったり、元気ハツラツで動き回っていた人が家族を亡くし急に鬱や認知症になったり。
これを読んでいるあなたも、人生の中で「劇的に変化したこと」があったと思いますし、今後も劇的に変化する可能性があるわけです。自分では気づきにくい、気づいていないところで変化していたりすることもあります。
自分に対してのイメージ、相手に対してのイメージ、こういったものを固定したり、押し付けたり、執着したりすることを「ちょっとだけやめてみる」だけで、いろいろ円滑になるかもしれません。
久しぶりに接触する人やモノに対して「自分がこんなイメージをもっていたんだな」と言語化するだけでも、新たな発見につながるでしょうし、少しだけ優しくなれるはずです。
にしけい