最近おもしろいなーと思うのは「立場」という「場」です。おそらく占いを突き詰めていくと「場」という概念に行き当たると思うんですよね。行動は場に対する反応ですし、現象も場から生まれます。交通事故が起こるのって、そういうことが起こる「場」だからなんですね。磁場だとか霊場だとかそういう小難しいことじゃなくて、その場があるから「現象」が起きるわけですよ。
最近書いた「混化分化理論」という本があるんですけど、これね、我ながら本当によく書けてると思います。毎回本気で書いてますけど、これはずっと書きたかったテーマなので、すごく筆が進みました。それで、本を書いているときって「まとめる作業」かと思いきや、僕にとっては「展開させる作業」なんですね。書けば書くほど泉のごとくアイディアが浮かんでくるんです。この感覚が楽しくて、本や文章を書いていられるのだと思います。次から次へとアイディアが浮かぶので、1冊書くごとにそこから4〜5冊ぐらい連鎖的に本が書けると思うんですよね。混化分化理論は特に原理的な部分なので、このアイディアの伸び代がすごかった。書き切れなかった部分とか、入稿したあとに「あ〜このアイディアも盛り込んでおけばよかった!」というものを講座で話したり、こうしてブログなんかで書くわけですが、僕にとって「書く」という作業は呼吸するような感じなんですね。呼吸って空気を吸って吐く間にエネルギーを生み出しているんですけど、僕にとって書くことも何かをインプット・アウトプットする中で何かを生み出す作業なんですね。
それはさておき、6月ごろから「場と反応と相」という講座を始めているのですが、今の僕にとってこれがめちゃくちゃ旬なテーマでして。冒頭にも述べたように「場」の話を好きなだけできるので、非常に楽しい講座となっています。
これを読まれているあなたも「場」の影響を受けたり、自分自身が「場」を作り出したり、流れを変えたり…という経験は少なからずされているのではないでしょうか。僕も「書くこと」が好きなのですが、おもしろいことにアメブロとかnoteとか別のプラットフォームで文章を書こうとすると、全然違う雰囲気の文章になってしまうんですね。この「にしけいポン」というサイトで書くからこの文章が書けているのだと思います。
「相場」という言葉がありますが、為替のように「場」は「相対的」で、「流動的」です。非常に曖昧なんですね。生き物で、アナログなんです。会社や組織でも、誰かが抜けたり入ったりしてメンバーが入れ替わることで「場の雰囲気」が変わりますよね。「店長がいないシフトのときは和やかだ〜」みたいことってあるじゃないですか。そして、場の創造にはあなたも加担しているわけです。
動物の世界でもサルの群れに「ボスザル」がいたり、アリの巣に「女王」がいたり、役割や「立場」が常に流動的に変化しています。星空を眺めてみても、惑星や星々のポジションというのは「相対的」で「流動的」です。家族の中でも祖母が亡くなったり、新しい命が生まれたり、娘が家を出たり、わんちゃんを飼い始めたり「立場」が常に変わるわけです。
(家相や地相を見る時も必ず「立場」が重要になってきますし、墓相も立場の塊と言って良さそうです。なんせ「お墓を建てる」わけですから、「建っているもの」というのは「立場の呪術」みたいなもんなんですね)
あなたは最近誰かと「対立」しましたか?
「対になって立つ」で「対立」なんですね。つまり「対立」というのは「立っている」から起きるんです。「立つ場」だから「立場」なんです。性善説ではないんですけど、僕は争いや奪い合いは全て「立場」が作り出していると思っていて、人間そのもの自体はそこまで争いや比較は好きじゃないと思うんですよ。何かに賛成したり、反対するときって必ず「立場」があるんですね。で、自分の立場を守ろうとするわけです。「立つ」というのは「固定」なので、一生懸命自分の場を守ろうとする。だから「別にここじゃなくてもいいっすよ」という態度で、固定することをやめれば争いは起きないんですね。
立場が明らかになっていると戦いや攻撃が始まります。でも、立場が曖昧でよくわからない人には攻撃できないんですね。じゃんけんでも、ちゃんと「グー」だとわかるから勝ち負けが決まるわけで、グーなのかチョキなのかパーなのか分からない状態だと、勝ち負けが決まらないわけです。
もし、人間関係のトラブルや言い争いや憎しみが止まらない…という人は、まず冷静に「立場」を考えてみてください。自分もそうですし、相手もそうです。いがみ合っているのってだいたい「立場」のせいなので、生身の人間同士になるとそこまで憎しみって生まれないんですね。「腹が立つ」のも「苛立つ」のも「立つ瀬がない」のも、固定して立とうとしているからなんです。
ゴリッパ(ご立派)デスネ、と言ったりしますが、立派なんかしなくてもいいんですよ。「目立つ」から「波風が立つ」わけですね。「弁が立つ」のも「角が立つ」につながるわけですよ。一回、座りましょうよ。何なら寝っ転がってもいいと思います。
「拠点を決める」とか「肩書き」とかそういったものって「立場」が固定されるんですね。明確になってしまう。「◯◯の人」という感じで立場や立ち位置を固定させるのもいいんですけど、実は立場を固定しようとしすぎている状態って、めっちゃ必死なんですよね。余裕がないから「固定」しようとするんですね。だけど、その場所に立っていて余裕がない状態に陥っているんだったら「立ち位置」が合ってないってことだと思うんですよ。だから、スーッと移動して、新しい立場を模索したほうがいいと思うんですけど、場が悪くなればなるほど立場を固定したがる状態の人も中にはいるんですね。
それで、だいたいそういう状態にある人は、より「立とうとする」んですね。何度も言いますが「立つ」というのは「固定」なんです。「受けて立つ」なんかしなくていいんです。座ってください。クララも立とうとしなくていいんです。腹が立つ、苛立つ、角が立つ、これらは「固定」から生まれます。「顔を立てる」とか言いますけど、立てなくていいです。そんなことするから「立場」が固定されちゃうんです。
何度も言いますけど、本来「立場」は「相対的」で「流動的」です。自然に変化していきます。固定しようとしなくていいんです。「廊下に立っていなさい」と言われて、「自由帳もっていきますね」と言って、廊下で座ってお絵描きしていていいんです。だるいですから。廊下に立ってても暇ですし。「際立とう」としなくていいです。危ないですから。
もし、あなたが争いやイライラを止められないようでしたら、僕があなたの夢枕に立って小さな声で素敵なアドバイスをしますので、耳をそば立たせて聞いてくださいね。きっと役に立つはずですから。え?そんなことをしたら怖くて鳥肌が立つ?
お後がよろしいようで。
立つ鳥跡を濁さず。
にしけい