すごく雑に性質を分けるとしたら、「可能性模索型」と「再現性追求型」なのかもしれないなと考えていまして。可能性模索型は未知の情報に反応し、再現性追求型は既知の情報に反応しやすい…という傾向に分けられるのかもしれないと。
再現性を追求していたら未知の事態に遭遇することもあるし、新たな可能性を模索していたら再現性があることに気づくこともある。なので、意識的に変えたり、得手不得手を論じるものでもないんですけど、やっぱり自然と自分がうまくいった方向性を採用しやすいわけですね。再現性追求型でうまくいった人はそれを信じるし、可能性模索型でうまくいった人はそれを信じる。
それで、これはどちらにも言えることなのですが、一方を信じているともう一方を蔑ろにしたり、価値がないと思い込んだりする場合もあるわけですが、これは成功バイアスみたいものなので、ナンセンスだなぁという気もします。
アクセルとブレーキ、両方あるから運転が成立するのと同じで、「可能性模索型」と「再現性追求型」両方必要なはずなんですよね。
「アクセル最高!ブレーキはクソだ!」とか「ブレーキを重んじない人は生きている価値なし」みたいな思想になっているときって、早めに寝て、カツ丼と味噌汁とか食べて、お茶を飲んだあとに、寝転んで、ダラダラして適当な時間が来たらお風呂に入らずそのまま寝るぐらいの休息をとったほうがいいと思うんですね。
あとは誰かにハグしてもらうとか、可愛い動物の映像を眺めるとか、そういう時間が必要なんだと思います。
お母さんシステム
今、世界中には「お母さん」が足りないのかもしれないなぁ。とりあえず受け入れてくれて、無条件で満たしてくれるような存在。「可能性模索型」と「再現性追求型」の話をしようと思っていたけど、もしかしたら、そういった「分別の話」よりも「お母さん」が必要なのかもしれない。
一応、ここで言及している「お母さん」は、「子がいる女性」ではなく、「受け入れてくれて、無条件で満たしてくれるような存在」というニュアンスで話しています。なので、僕でもお母さんにはなれると思いますし、もしかしたら僕をお母さん的な存在だと思ってくれている人も、世界中に3人ぐらいはいるかもしれません。
そういえば、中学のときにいたサカイさんは僕のことをなぜか「お母さん」と呼んでいて、なんでお母さん?と聞いたら、「なんかお母さんって感じがする」と言っていたのを思い出しました。こんな僕にも母性を感じる変わった感覚の持ち主がいるぐらいなので、あなたも誰かにとってはお母さんかもしれません。マザーテレサとか、新宿の母みたいに、血のつながりとか戸籍とか関係なく「お母さん」にはなれるのかもしれません。
反対に血縁関係や戸籍上の「母子」だったとしても、お母さん感を感じられない場合もあるかもしれません。生まれたてのアヒルは初めて見た動くものを母親だと思い込むみたいな話もありますし、意外とお母さんは誰でもいいし、誰でもお母さんになりうるのかもしれません。あと、お母さんにもお母さんぽい人がいたらいいと思うので、交代でお母さんになれる仕組みがあったいいと思うんですよね。
ネットワークビジネスみたいなピラミッド形式の母子とか上下関係じゃなくて、循環形・分岐形式でいいと思うんですよ。やりとりしてていいな思ったら「母親申請」を出して、それが受理されたら母子関係になって、「元気かい?」「野菜を送る」「お菓子食べるかい?」「お母さんあのさ」「ちょっとほめてほしい」といったボタンがいくつかあって、さらに母子関係を深める…みたいな仕組み作れないですかね。なんかこうお母さんが何人かいると精神的に安定する気がするんですよね。
「ミイラ取りがミイラになる」ということわざをそのまま英語にすると「The mummy hunter becomes a mummy」になるんですけど、それを「The mommy hunter becomes a mommy」にして、お母さんが増えていく…みたいなシステム作れないかなーと思うんですよね。
というわけで、疲れている人はなるべく寝て休んで欲しいですし、無条件に受け入れてくれる何かが見つかることを願っております。
そういえば、僕をお母さんだと思っていたサカイさんのInstagramを見てみると、子供が生まれたらしいので、僕はいつのまにか「おばあさん」になっていたようです。
こんな感じで思いついたことを何も考えずに、すぐにアウトプットするのは「可能性模索型」の傾向かもしれませんが、いつまでも「ファンキーなおばあさん」でいたいものです。ウーバーイーツでいいんじゃな〜い?
にしけい