僕は「肩書き」を超えた先へいきたいので肩書きを捨てました

 

今日は前々からツイートしていた「肩書き」について少しだけ書きます。

 

 

 

肩書きがあるとわかりやすい

 

肩書きがあると、わかりやすいです。

むしろわかりやすさや、覚えてもらいやすさ、印象に残りやすさを狙って肩書きをつけている人が多いようです。

僕も一応、開業届の加減で「究理占術研究家」と名乗っていたのですが

「キュウリの研究してる人?」「それなに?」状態で、正直最初から肩書きをつけるメリットである「わかりやすさ」「印象に残りやすさ」という面で恩恵が得られなかったのです。

自分で自分の肩書きをつけておいてアレなんですが、肩書きを自分でつけた時点で疑問しかなかったんです。

理由1.本当にいろいろやりすぎてて何が仕事かよくわからない

理由2.自分と接して感じ方は人それぞれ違うから形容詞系の肩書きいらないのでは?

理由3.肩書きにとらわれて自分の行動や思想を不自由にさせたくない

理由4.そもそも自分はセックスよりマスターベーション派なので不要では?

 

とにかく肩書きに凝る人って、なんか時間を無駄にしてんじゃないかなーって。肩凝らないかなーって。

 

肩書きの先へ

 

先述したように肩書きには「わかりやすさ」があります。

それゆえ「売れるためには肩書きをもて、レアな肩書きをもった存在になれ」とコンサル系の人たちや意識高い系の人たちは話しますが

そういった「肩書き作れ」と主張する人たちほど肩書きをもっていないことがよくあって、もうすでに自分の名前が肩書きみたいな域に達している人がほとんどなのです。

イチローなんてとってもありふれた名前なのに、カタカナでイチローって書くだけで、だいたい日本人は野球選手のイチローをイメージするはずです。

「イチロー@メジャーリーガー」なんて書かれるとなんか違和感を覚えてしまうぐらい、イチローはもうイチローなのです。

イチローは野球だけではなく、テレビCMや広告なんかにもよく起用されます。

なのにイチローは「イチロー@CMによく出ている人」という肩書きを使っていません。

 

何度も言います。

イチローはもうイチローなのです。

イチローは何をしていようがイチローなのです。突き抜けてイチローをやってきたからこそ、誰よりも先に想像してもらえるイチローなのです。

僕も誰よりも自由に「にしけい(自分)」を生きるにしけい(自分)でありたいと願っています。

僕のことをどう形容するかは僕以外の人々の自由です。

自分を自由に生きるためには、この形容詞や肩書きは不要なのです。

そう思って僕は目に付いたところから、自分のプロフィールから「究理占術研究家」を消しています。

だって、僕が目指してるのは、肩書きのもっと先なんです。もっと自由に自分を生きたいんです。

肩書きが増えれば増えるほど自分を縛ります。肩書きに亀甲縛りされてしまうわけです。

「にしけい@肩書きに亀甲縛りされている人」なわけです。そんなのいやです。

僕はもっと自由に好き勝手いにやってきたいので、究理占術研究家を辞めて「にしけい」としてやっていきます。

 

肩書きへの固執は「おそれ」かも?

 

たぶんですけど、肩書きが多ければ多いほど、こだわればこだわるほど、恐怖心が強い人だと思います。

だって肩書きってドラクエの「装備」みたいなものじゃないですか。

大魔王を倒しに行くのに「さぁ出かけよう、ひときれのパン、ナイフかばんに詰め込んで」ぐらいのノリのほうがかっこいいと思うんですよね。

おそれるからこそ、重装備になるわけです。

おそれるからこそ、肩書きが欲しくなるのです。

今一度、肩書きについて考えてみませんか?委員会代表理事にしけい@こわくないよ

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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