「何かを得た感覚」を獲得するために失っているものもあるかも

 

せっかく

いろいろの困難を排して事をするさま。無理をして。苦労して。わざわざ。「―来てくれたんだから、ゆっくりしていきなさい」「―のみやげを汽車の中に置き忘れた」

 

時間・手間・労力・お金など、何かしらのコストを支払ったことを強調したいときに用いられます。

この「せっかく」という言葉が使われる時は、コストに対しての対価が見合っていないと感じられる時に使われる場合が多いです。

例えば、

「せっかく宝くじを3万円分買ったのに、ひとつも当たらなかった」

という風には使われると思いますが

「せっかく宝くじを3万円分買ったのに、6億円当たった」

という場合、あまり「せっかく」という言葉がしっくりこないはずです。

なので、もしロボットに「せっかく」の使いどころを教える場合は「out > in」と伝えれば、そこまでおかしな使い方はしないはずです。

 

「せっかく記事を書いたのにデータが消えた」
「せっかくインドに来たのにカレーを食べなかった」
「せっかく京都にいるなら、友達に会おう」

 

この「せっかく」という言葉が出るときは、実際の成果はさておき「何かを得た感覚」が弱いときに使われる場合が多いようです。「何かを得た感覚」を別の言葉で言い換えるなら「感覚的費用対効果」という感じでしょうか。

何かを得た感覚が強いのであれば、感覚的費用対効果が高いと言えますし、感覚が弱いなら感覚的費用対効果は低いと言えます。「せっかく」という言葉が出るときの多くは、感覚的費用対効果が低いときと言えます。

 

感覚的費用対効果を満たすには

 

1.すぐに
2.簡単に
3.分かりやすく
4.より多く結果が得られそうなもの

 

というものや情報が好まれます。

 

このサプリメントを飲めば、あなたもすぐに10代若返る!

エアーウォークを使えばランニングをしなくても健康な肉体が手に入る!

 

ワイドショーの合間に垂れ流されるテレフォンショッピングなんかは、こういった情報が満載です。

本来は継続的に使用しないと効果が見込めないはずなのですが、そのあたりは視聴者が勝手に「すぐに健康になれる!」ひどい場合は「買っただけで健康になれる!」と情報を補完する(させられる)場合もあります。

何度もお伝えしますが、これらは「実際の効果」は関係なく「感覚的費用対効果」が重要です。「ああ、得したなぁ」という気持ちが溢れて天にも昇る心地になるようなものではないとダメなんですね。

人間には誰しも「ちょっとでも得したい」という気持ちは少なからずあると思います。電車に乗ったら座りたいし、1円でも安くキャベツを買いたいし、ポイント2倍デーのときに買い物できたらラッキーだと考えるはずです。

もちろんこういった「ちょっとでも得したい」という「感覚的費用対効果」を求める度合いは人それぞれです。別に高くていいし、損してもいいという人も中にはいます。しかし、それは少数派のようで、多くの人は「何かを得たいことが普通」と考えているようです。

 

参照記事:
【メルカリで実験】値上げ交渉を仕掛けられたら人々はどうなるのか?

 

何度も何度もしつこいぐらい申し上げますが、感覚的費用対効果は高まっても、実際の効果とは直結しません。それなのに、「結果」そのものを得ることではなく、「得た感覚」を得ることに夢中になっている人がけっこういっぱいいます。だから、テレビでサプリや足踏み健康機が今も売れるわけです。

この「得た感覚を得たい」という状態は、実際に何かを欲しているわけではない状態なのです。つまり、ある程度は満たされている幸せな状態と言えます。

例えば、あなたが突然銃撃されて血を流しながら地べたをのたうち回っていたとします。救急車や助けを呼ぶためのスマホが目の前で大破し、転がっている…そんな状況で「スマホをすぐにお得に手に入れる方法」と書かれたメモがヒラヒラと落ちてきました…

何もないときであれば、そのメモに書いてある情報を読んで「ふむふむ、こうやって買えばお得なのか」と喜べるかもしれませんが、銃撃されて血だらけになっている状況で本当に欲しいのは「手当」や「治療」なはずです。

感覚的費用対効果を求める状況は、心から何かを求めているわけではなく、「何かを得た感覚」が欲しいだけですから、今の状況がそこまで切羽詰まった状況ではないわけです。

そして、この「何かを得た感覚」を追いかけていると、本当に自分が求めているものがわからなくなる…という悩みが出てくるのですが、それはそれで「何も必要ない」「今の自分で満足できている」という裏返しなので、特に頑張らなくてもいいんですね。

本当に欲しいものが出てきたら、頑張る。それまではお金も時間も労力も温存しておいていいし、自分は「何ももっていない」という感覚に陥る必要もないということです。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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