本を手放すことは悪いこと?見せ本・読書数報告は得策?

どこに引っ越すかもまだ決まっていませんが、とりあえず引越しのために荷物や持ち物を整理しています。もともとそんなに持ち物は多くない方なのですが、それでもそれなりに暮らしていくと物が溜まっていきます。特に僕の場合けっこう本が溜まっていきます。定期的に処分したり、サロンで読みたい人に譲ったり、古本屋にもっていったりしていますが、やっぱり「いらない本」は出てきます。

「いらない本」が出てくるのはなぜかというと、その本の内容を「理解できた」「飽きた」といったことが挙げられます。こんなことを書くと「本は大切にしなきゃいけない」「いつか役に立つかもしれない」という意見も出てきそうなのですが、じゃあ皆さんは小学校のころの国語や算数の教科書、やり終わったドリルなども「いつか役に立つかもしれない」と大事に保管されていますでしょうか。ほとんどの人が「捨てた」と答えるのではないでしょうか。

なぜ捨てたのかというと「算数はもうできるようになった」「漢字のドリルはやり終わった」ということで「旬を過ぎたから」だと思うのです。人は飽きます。そして成長します。なので「いらない本」が出てくることは成長の証でもあるわけです。小学校の教科書をみなさんは捨ててきた。「捨てること」は「卒業」でもあるのです。

 

見せ本・読んだ本の数を誇示をするということは

 

過去に書いたぶっちゃけ占われ体験記より引用します。

鑑定室は雑居ビルのような建物の1室でした。かなり年季が入った建物で、家賃はどれぐらいなのか…とか、ここは占いに適した物件なのかな…などいろいろと思慮しながらエレベーターで鑑定室に向かいました。

エレベーターで鑑定室のあるフロアに到着すると、少し薄暗い雰囲気の廊下があって、中国人?台湾人?の若者たちが営業している美容室がありました。ちょっとあやしい雰囲気でしたが、占いもちょっとあやしいし、いいかなと思ってインターホンを押しました。

(中略)

本棚には占いの本も並んでいましたが、パッと見、周易と算命学の書籍が多かったです。ラインナップとしては「更新」されている気配はなく、本棚の様子もどこかの時代で止まっているようでした。本をよく読む人特有の本の積み方ではなく、本を飾りのように扱う人の本の陳列の仕方でした。

占われにいくとたまに見受けるのですが、鑑定室に大量の本を並べる人がいます。本棚の前に座り、あたかもこれらの本に関する情報がすべて自分の中にインプットされているからすごいんだぞ、と演出する人がいます。

まぁーこれ、気持ちは分からなくはないですよ。そりゃ自分がすごいって言いたくなる気持ちはわかります。もちろん中には大量の本を所持している様子を見て「この人はすごい人に違いない」となる人もいるんでしょうけれども、僕は逆に信用できなくなってしまうんですね。

なぜなら先述したように、成長していくうちに「いらない本」が増えていくはずだからです。特に占いに関しては自分なりに「この本に書いてあることは本当なのか?当たるのか?役にたつのか?」と吟味する作業をすると「いらない本」は増えていくんですね。また、自分自身もそうですが、本もアップデートされていきます。

科学も錬金術を経て今の形があるわけですが、やっぱり錬金術の時代は今よりも精度が低かった。医学も錬金術と同じ頃の時代には「脳に形が似ているから頭が痛いときはクルミをワインに浸しておでこに貼り付ける」といった具合です。現代で病院に行って頭にクルミを貼り付けられることはありません。個人的にはナッツ類が好きなのでありなのですが、大半の人は怒り出すでしょう。

実際の現場で「吟味研鑽」されアップデートが起こったからこそ、看護師を目指す学生たちが読む本から「クルミを用いた頭痛の治療法」は消えました。「役に立つこと」を考えて、実際に現場でいろいろ試行錯誤していると、自然とアップデートが起きるんですね。もちろん「役に立たないこと」を楽しむことも大事です。切り捨てるばかりでは窮屈な世界になってしまいます。「楽しみ」や「娯楽」という形であれば、たくさんの本があっても理解できます。無駄があったほうがそれらは生まれやすいからです。

しかし「実践」「占断」といった現場でいかに役に立つかを突き詰めていくと、本当に役に立つ本はかなり厳選されます。これは何度も言うように、「書籍」「読む人」両方のアップデートが行われるからです。そのような背景を踏まえた上で、蔵書数や読んだ本の数を示すこと、見せ本を大量に並べて誇示することはどのような人物なのかおのずと見えてくるはずです。

それこそ「相術」ですから、自分がボロボロになるほど1冊の本を読み込んだ経験があったら、そうではない本の状態がわかります。自分が本を活用しようとして試行錯誤した経験があれば、どのような本棚の姿形になるかがわかるわけです。そして同じようなことが目的である人の本棚を見れば既視感や親近感を覚えるわけです。しかし、それとは違う場合「これは見せるための本だな」ということが一目瞭然になるわけです。

目的や意思が似ていたら、似たような姿形になっていきます。収斂していきます。背中から外的を守りたいと思ったら、ネズミとモグラといった違う種族でも同じように「針」を背中にもつ種が残っていきます。言葉ではどんなにすごそうなことを言っていても、行動や現象を見ればすぐにわかってしまいます。もちろん気づかずに「あの人はすごい人だ」と信じる人もいるでしょう。気づかないほうが幸せな場合もありますし、指摘しないほうが幸せな場合もあります。なのでそっとしておくことにしておきますが、本を捨てることや手放すことに躊躇しているようであれば、それは恥ずかしいことではないですよとお伝えしたいのです。

僕は初見で理解できないことが書いてあると保管しておいて、あとで読み返すこともします。突然、思い出したようにその本を開いて「そういうことか〜!」と理解できることもあります。そして、1回理解できたらやっぱりしばらくすると捨てるんですね。何度も言いますが、本当に役に立つことを主眼に試行錯誤していたら「役に立つ本」の冊数は減っていきます。なので、どんどん本を読んで自分なりに吟味して理解納得したら手放していきましょう。趣味としてコレクションしたいのであれば良いと思いますが、「もっていること」自体にはあまり価値はないですからね。

あとは「これだけ本を読んでるぞ!」と話を盛り過ぎたり、嘘をつくとあとあとしんどくなるのは自分ですからねー。「すごそうに見せる、演出する」って長い目で見ると得策ではないと思うんですよね。無理せず等身大でいいんじゃないかなと思います。わからないものはわからないし、知らないものは知らないですから。謙虚に素直にいきましょう。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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