【六話目・洗脳部屋】オウム真理教(アレフ)という宗教団体に触れて感じたこと。

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【五話目・道場へ】オウム真理教(アレフ)という宗教団体に触れて感じたこと。

 

サティアンじゃない「道場」だ

ついに、アレフの拠点(通称:道場)に向かうことに。

「道場」というネーミングがなんだかモヤモヤします。おそらく当時は「サティアン」という名前で呼ばれていたと思うのですが、僕が行ったときはどの信者の方も「道場」と呼んでいました。「エロ本」って呼ぶといろいろと問題が出るから「成人向け雑誌」と呼ぶような、じれったさがありました。

僕が想像していた道場とは全然かけ離れた雰囲気の道場に案内されました。名古屋でもけっこう便利な駅の近くにその道場はあり、「え!こんなところにアレフの拠点があったなんて!」と驚くと同時に

雑居ビル1棟まるまるサティアンになっており、「警察関係者お断り」というテプラのラベルが4つぐらい入り口に貼ってありました。これ、警察関係者の人が見たら絶対怪しむだろう…というツッコミを禁じえなかったのですが、インターホンを4つ同時押ししないと入れない仕組みで、さらに怪しさマックスでした。(実際は同時じゃなくても4つ全部押せばよかったっぽいです)

当時、いろんな宗教団体の拠点に潜入していましたが、ここまで怪しさが漂う宗教団体は初めてで、不謹慎に思われるかもしれませんが、僕はこのときちょっとワクワクしていました。

今日カレー作ってるんですよ

中に入ると、階段を上がったり、廊下を通ったり、迷路のような感じ。部屋ごとに「○○をする部屋」という役割が決まっていて、ちょうどアリの巣のような構造だなと思いました。壁一面真っ白で、殺風景でした。

まず、一番広そうな8〜9畳ほどの部屋に案内されました。

その部屋の奥には大きな麻原彰晃の写真が飾ってあり、ちょっとした絨毯がひいてあって、麻原彰晃の写真に向かって五体投地をするような礼拝部屋でした。壁一面真っ白な部屋に飾られた、ソンシの写真はとてもインパクトがありました。

他の信者の方もそこで頭を地面につけて礼拝をしていたので、どうも「きたとき」と「かえるとき」に教祖さまに挨拶をする部屋になっているようでした。

教祖さまの写真への礼拝がログインとログアウト、出勤と退勤のシステムを構築しており、確かに神道でもお参りするときは最初と最後にあいさつするもんなぁと考えておりました。

僕は入信していませんでしたし、半信半疑、むしろ1信9疑ぐらいだったので、とまどいながらも座り、軽く会釈をしました。僕を案内した人は深々と頭を下げていました。

そのあと、簡単に道場の中を案内されました。

「きたときはここの名簿に名前と入室時間を書いていってくださいね」

「はいていた靴はここに並べてくださいね」

白っぽい袈裟のようなものを着た信者の人、普通の服を着ている人、いろんな信者の方がいました。どの信者の方も悲しみにフタをしたような穏やかさで「こんにちは〜」とあいさつしてくれました。

中には松葉杖をついている人もいたり、おばあさんもいたり、夫婦で入信してる人もいたり、その子供も入信させられていたり、いろんな人たちがいましたが

共通する点としては、みんな穏やかさがあるのですが、健全な穏やかさではなく、生気が削がれたように目に力がなく、ふわふわと地に足がついていない様子でした。

他の宗教でもそうでしたが、「拠り所」がある分、他人にやさしい態度をとれるのですが、信心深すぎると自分で「考えること」「判断すること」を放棄するため、目に力がない人が多い傾向がありました。アレフのサティアンにいる人たちも同じで、優しそうなのですが、どこか「現実世界」にフタをして、空想世界のみを生きているような雰囲気がありました。

占い師として駆け出しだった僕ですが、彼らと接した経験から「人を依存させる占いはやめよう」と心に決めたのでした。「占い」や「スピリチュアル」が「松葉杖」になってしまうようでは、意味がない。それがないと歩けない、前に進めないようにするのは全く意味がない。

いろんな宗教団体に触れて感じたこと。それは「宗教を使ってお金儲けをするのは簡単だな」と思いました。

単純に弱い人に寄り添うように近づいて、もしくは「弱っている人を作り出し」て、そこに「お金を払えば解決できる」と提案するだけなのです。それには「信じ込ませる」ための洗脳が必要になるのですが、弱っている、困っている人たちはそれを判断するだけの冷静さがありません。

「洗脳」「依存」これらを作り出すこと。

これは宗教に限ったことではないなとも思いました。宗教というと不健全な感じがしますが、我々が今普通に使っているスマホやお金もある意味「洗脳」と「依存」を上手に作り上げています。なので、ある意味すべてのものやサービスが宗教だなと思いました。もちろん「洗脳」を「信頼」「信用」という言葉に置き換えたりしていますし、「依存」なんかは音も立てずに忍び寄ってきて「日常」に溶け込んでいます。日常そのものが依存に溢れています。

「ここが食堂なんですよ、今日はカレーみたいですね、食べていってもいいですよ」

と、食堂のようなところも案内されました。ここでも何人かの信者さんにあいさつされました。

穏やかで、奇妙で、ふわふわとした、偽りの優しさが漂うような空間でカレーが作られていました。

こんな空間で作られたカレーでも、カレーはカレーでした。僕は食べませんでした。

 

洗脳部屋

見学させてもらった部屋の中に「洗脳部屋」がありました。

ここでは「修行」という言葉で表現されているらしいのですが、明らかに「洗脳部屋」でした。

Windows98とかの時代のバカでかいデスクトップとモニタが4台ぐらい並んでいて、モニタの前にヘッドホンのようなものをした信者が座っていました。

モニタはスクリーンセーバーの状態なのか、真っ暗です。しかし、その真っ暗な画面に紫色とか水色で高速の文字が右から左へと流れていました。

この高速の文字列を凝視しながら、信者の方たちはその文字列を唱えていました。

ブツブツとパソコンを凝視しながら呪文を早口で唱える信者の方々。中には若い女性もいました。

なるほど。こうやって人を洗脳するのか。

思わず近くにいた信者の人に聞きました。

「あの、これって洗脳なんじゃないですか?」

 

40代ほどの男性信者は、穏やかに、にこやかに答えました。

「いいえ、これはみなさん”自ら望んで”修行されているんですよ。だから洗脳ではないのですよ」

 

なるほど。すごいな。ここまで徹底して洗脳できているとは…。もちろんその方は何の疑いもない様子でした。

宗教の恐ろしさを改めて感じました。

洗脳部屋にはパソコンが何台もある他に、例のヘッドギアと呼ばれる装置もシルバーラックに何台か置かれていました。これだけの機器を集めたり、カレーを作ったり、施設を運営できていたことを考えると、あれだけの事件があったのに、けっこう信者がいるんだなぁ…思いました。

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