ちょっと皆さん素直な気持ちで見ていただきたいのですが…
この陰と陽の棒が組み合わさった図、何に見えますか?何を連想しますか?
易を勉強されたことのある方なら「知識として」これが何をかたどっているか「知っている」と思いますが、知識がない状態だったら何に見えますか?
これ「沢火革」という卦で「革」つまり「動物の毛皮を剥いで吊り下げられている様子」を表している…そうです。
では、お次はこれです。
これ、何に見えますか?
答えは「井戸」です。
水風井という卦になります。
もうひとつだけご紹介しておきます。
これは何に見えますか?
答えは「三つ足のついたお鍋」です。
火風鼎といって「鼎(かなえ)」というお鍋をかたどっているそうです。
本当にそう見えます?
易経ベースの易の本(主に周易)には必ずといっていいほど、今挙げたような「これをかたどった卦です」という説明があります。
あえて素人質問させてもらいますが、易を勉強されたり、研究されている方、実践されている方は、本当あの卦の形から「井戸だ!」とか「毛皮にしか見えない!」と思われていますか?
最初に勉強し始めたときから、何の違和感もなく「これは鍋をかたどった卦だろう!」と思われました?
何かひっかかるものはありませんでしたか?
「昔の人がそう言っているから、井戸なんだろう!」とか
「時代や文化が違うから、今生きる我々と見え方が違って当然だろう!」といった風に無理やりそれをそう見ようとしていませんか?
確かに「彖曰、鼎、象也」と言われたら、それは三つ足の鍋をかたどったものだろうとしか解釈できないかもしれません。
しかし、これだけ脈々と受け継がれてきている易です。本当にそんな表面的な象りだけで「これは鍋だ」と片付けてしまって良いのでしょうか?
僕は頭が悪いので違和感を抱えたまま、理解できないまま、覚えることはできません。頭に入ってこないんですね。
先人たちが「上卦に沢、下卦に離」で「革」とした理由をもっと掘り下げて考えていく必要があると思います。
「あくまでただのシンボルだろ」と思われるかもしれませんが、それならなおさら抽象度を高めて卦を解釈して、それを読み解いていかないと、後世の人たちが納得して語り継げるようなものにはならないと思います。
現代を生きる僕ですら既に「毛皮に見える?」「井戸?」になっているのですから、未来を生きる人々がこれを見たらなおさら「?」です。
リスペクトしているからこそ
この疑問を掘り下げていった結果を説明しているのが「周易講座」です。
「上卦に沢で、下卦に離だと何で革になるんだろう?」と疑問に感じてモヤモヤしている方にもスッキリとした答えを提示できると思います。
沢火革は英単語一言で表すと「Restrict」で、混化へ向かう方向性を再び分化へ戻そうとする働きでしょうね。材料力学とかに出てくる剪断応力も沢火革の具象例になってきます。
水風井は井戸の機能や仕組みの抽象度を高めると、理解しやすいと思います。現代で言えばNETFLIXとかYoutubeとかサブスク系の動画配信は水風井の具象例になるでしょうね。
火風鼎は膝を打ちたくなるぐらいうまく説明しています。しかし、やはりこれも「かたどっている説」ではなく、鼎の機能にヒントがあります。現代だとUberEatsとか出前館が具象例ですかね。そして、沢火革、火風鼎からの震為雷、艮為山。非常に鮮やかに説明できるような順番になっています。ストーリーがつながって、理解すればするほど美しいんですね。
正直、周易とか易経ってただ読んでるだけだと眠くなりませんか?学ぶのを挫折した人もけっこういるんじゃないかと思います。僕もそうでした。でも、掘り下げて抽象度を高めていくと非常におもしろいんです。「うまいこといってるな〜」と感心させられます。その際に、何度も言いますが従来の「これは井戸をかたどったものです」という説明を鵜呑みにしていると、全然そのおもしろさに気づけないまま死んでいくんですね。
だって、長い年月をかけて先人たちが作り、語り継いできたものなんですから、そんな生半可なものじゃないと思います。先人たちをリスペクトしているからこそ、もっとおもしろくて有用性の高いものへと昇華できると思うのです。
にしけい