僕の祖父は正義と書いて「まさよし」という名で、警察官でした。祖父からは捜査一課で犯人を逮捕したんだという自慢・武勇伝を何度も聞かされました。
品行方正で名も職業に相応しい「正義漢」なのかと思いきや
スーパーの駐車場で立ちションをしたり、動物園であげてはいけないのに猿に飴玉をあげたり…
そんな祖父を見て僕は幼いながらに「正義」「正しさ」とは何なのか考えて生きてきました。
正義・正しさって何なのか?
30歳をこえて今一度「正義」とは何なのか考えてみたのですが…
辞書には
正しい
1.形や向きがまっすぐである。
2.道理にあっている。事実に合っている。正確である。
3.道徳・法律・作法に合っている。
と書いてあります。
1,2,3どれも実に「曖昧」です。
「正しさ」を定義しようとすると、一定の方向性を定義しないと定まりません。
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正義や規則を押し付ける人たち
あなたのまわりにもいませんか?
自分の「正義」や「ルール」を押し付ける人たち。
もしかしたら、この本がお役に立つかもしれません。
「全能感を取り戻すため…」
何それ必要なの?って感じだけど
こういう人が寄ってきたら距離おくしかないんだろうな。https://t.co/ibmM4m61sh— にしけい (にしけいポン) (@nishikei_) 2017年11月8日
ゆがんだ正義で相手を支配しようとする人は基本的に自己評価が低いヒマな人なので
基本的には「距離をおくしかない」と思います。
正義とか規則とか言って他人の行動にイチャモンつけようとする人は基本的にヒマで孤独な人間です。
— にしけい (にしけいポン) (@nishikei_) 2017年11月28日
一言で言うと「かまってちゃん」なわけです。
甘えんぼちゃんなわけです。
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彼らはとにかくあの手この手でかまってもらおうと、気を引こうとします。
しかし、一度でも反応してしまうと調子に乗ってさらに正義を押し付けて来ます。
精神的に余裕があるとか、こういう人たちから何か学ぼうとする意欲があるなら相手をしても良いのですが
基本的には得るものはありませんから、全てスルーした方が時間とエネルギーの有効活用に繋がります。
正義を持ち出す人たち
「正義」「大義名分」を持ち出す人は、ヒマで孤独で卑怯者です。
「正義」って主張する側が集団化しちゃうところに卑怯さを感じる。
個人的に「許せない!」と思うならI can’t forgive youでいいのにWe can’t…として使って自分の感情の正当化を図ろうとすると一気に卑怯さが増す。「私は好き」「私は嫌い」でいいのになあ。— にしけい (にしけいポン) (@nishikei_) 2017年11月21日
そして、他人が作ったルールや物差しを鵜呑みにして、思考することを放棄しています。
確かに「正しさ」というものを定義した方が、それに沿って行動できるため何事もスムーズになるかもしれません。
しかし、それはあくまで「スムーズに物事を進めること」が目的であり、状況が変わればそのルール自体が状況を悪化させることもよくあります。
「正義」を持ち出すぐらいなら「お前が気にくわない!」と言った方が正常なのに
彼らはそれではまわりに相手にされていないため「正義を捏造」します。
冒頭に述べたように「正しさ」とは非常に曖昧で、方向性を定義する必要があります。
結局、人間は自分の都合のよいように生きていこうとする生き物なので
都合よく正義を盾にワーワー言ってくる相手に対しては、こちらも都合よく対応して正解です。
それと同時に、自分の「正義」「正しさ」というものが本当に必要なものなのかを考えてみるのもありです。
「電車内で携帯電話で話すのはマナー違反だ」というルールはありますが
なぜ「正しくない」のでしょうか。
「話すこと」が悪いのか、「電波」が悪いことなのか、なぜなのでしょうか。
自分が正義を押し付けるかまってちゃんにならないためにも
「当たり前」を疑ってみてはいかがでしょうか。
にしけい
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