今「感情」についての本をいろいろ読み漁っています。「感情」とは何なのか、感情がどのようにできているかはまだ科学的に明確にきっちりは解明されていません。「感情」は文明が発展するにつれて複雑化しているという説があります。原始的な「嬉しい」「悲しい」「苦しい」といった感情は肉体的生存を助けるために必要な感情です。これらに加え「恥ずかしい」「気まずい」といった感情は現代で「誰かと共生する」上で生まれてきた複雑化した感情のようです。盲目の子でも嬉しいと「笑顔」を作るところから、表情や感情は後天的に視覚によって学習したものではなく我々人類が生まれもった共通の性質と言えそうです。「笑顔は世界共通言語」というのは的をえているようです。
どんなときに笑うのか?
人はどのようなときに感情が動くのか。「笑顔」つまり「楽しい」という感情を見て考えてみます。これを読んでいるあなたは最近笑っていますか?どんなときに笑いますか?どんなことを「愉快」だと感じますか?
「笑い」にもいろいろあります。待ちに待っていたクリスマスプレゼントが届いたとき。友達の家で子猫を抱かせてもらったとき。お気に入りの芸人さんのコントを見ているとき。誰かを見下したときの嘲笑というものもあります。笑いにもいろいろあるのですが、笑いには「外圧からの開放」が関係していると思います。例えば、中学の全校集会で校長が話しているときや、お葬式でお坊さんがお経をあげているときのように「笑っちゃダメ」という場面で笑ってしまいそうになる経験をしたことはないでしょうか。笑ってはダメなときというのは何かしらの「ルール」のようなものが働いていたり、笑ってはいけない「空気」のようなものがあります。この外圧が強いときは「緊張」しますし、何もない場合でもある程度外圧がかかっています。この外圧を打ち破られるとき、感情が揺れ動きやすいようです。「何かをしなければいけない」というプレッシャーがかかっているときあまり笑えません。しかし、そのプレッシャーから開放され安心したとき、人は感情が揺れ動きます。
映画やドラマを見ていて感動する場面の多くがこの「外圧からの開放」です。「もう死ぬかもしれない」「うまくいかないかもしれない」そういった緊張感が外圧をかけていき、クライマックスでそれをゆるめて開放する。カタルシス(浄化)なわけです。感情を揺さぶる映画はこの圧力のかけかたとゆるめかたがうまいです。飴と鞭です。ゲラゲラと笑ってしまうことも「そんなわけない」という秩序やルールがあってこそです。日本には古来より「守破離」という言葉がありますが、まさにこの「破」で感情が揺れ動くのですが「守」が強烈であればあるほど「開放感」は大きくなります。芸術や芸能の分野でも「観客」「評論家」といった外圧(プレッシャー)があるからこそ、素晴らしいもの・美しいものができるのかもしれません。もちろん今後の感情の多様化が進行すれば、そうではない方法で人の心を揺さぶるものが生まれてくるかもしれません。
特定の感情を生み出しやすい空間をつくる
ちなみにこの外圧というのは八卦でいうと乾で、開放は巽や坤でしょうね。感情の分布図を図式化できる方法を発見したので、日々のあなたの感情を何かしらのシンボルに変換し、そこからバイオリズムや健康管理に用いることができそうです。
例えば「よく笑うようになる家」や「人が緊張感をもって動く事務所」などを作り出すことができますし、実際これまでの気学や相術と合わせて整合性があるので空間の面から「感情をデザインする」ことも可能だと思います。このお話は「にしけいの旬話1」で詳しくお話する予定です。
感情は生きていく上で必要だから生まれてきたわけですから「邪魔者扱い」するのはちょっと違うなと思いますし、でもこれがある程度コントロールできたらより生きやすくなると思います。日本人は「めそめそ」「わくわく」といった心情を表現するオノマトペや「腸が煮えくりかえる」といった暗喩も豊富であることから、他者の感情に興味が強い民族と言えます。「笑ってよ」と言われてもなかなか笑うことは難しいかもしれませんが、自然にさりげなく「笑うような空間」ができれば感情に繊細な日本人でも心地よい場所になるかもしれません。
今後「金運が上がる家」とか「仕事運が良くなる家」といった即物的な幸福よりも、個人の基準や感情で幸福だと感じられるもののほうが求められると考えています。なので、感情へのアプローチは必須というか、占いを研究する上でもウェイトが重くなってくるかもしれませんね。
たぶんですけど、僕はこの記事を割と無表情で書いているので、読んでいるあなたも無表情気味になっているのではないかと思います。と書いた途端少しだけニヤっとした笑顔になりました。緊張がゆるんでしまったようです。大きなあくびが出てしまったので、昼3時すぎですがちょっと昼寝しようと思います。
にしけい