苦味。渋味。えぐみ。不快な臭い。クセがある。
灰汁(アク)。
現代では、灰汁は悪(あく)とされ排除されがちです。
「アクの強い人」という風に人間にも用いられ、忌避される対象とされているように見えます。
このアクやクセは確かに強烈です。調和とは真逆の存在ですから、拒否反応が出ることもあります。一瞬、ウッとなり、目をそらしたくなるかもしれません。
加工・品種改良してアクやクセを排除したものの方が食べやすいです。
でも、実は排除したものの中に「大事なもの」が含まれていたりします。
多くの人たちに許容してもらうにはこの「アク」や「クセ」を徹底的に排除するか、ある程度コントロールされる必要があります。
「生臭い」という言葉があるように「生(なま)」は強烈なので、どうしても拒否反応が出てしまいます。
朝起きてリビングのテーブルの上に首を切って捌かれたてのニワトリが置いてあっても、それを朝ごはんだとはなかなか思えそうにありません。
いくら母に「捌きたてほかほかのうちに召し上がれ」と言われても、強烈な疑いの眼で母を睨みつけるかもしれません。もしかすると「事件」のようなものも考えてしまうかもしれません。
それぐらい「生」というのは強烈で、それを排除した世界や環境が「当たり前」になっています。
それは決して食べ物だけではなく、情報もそうです。
「生」すぎるといろいろ問題があるので、排除されるのです。大衆受けするためには排除したりコントロールしたりする必要があります。
でも、何度も言うようにそういった「目をそむけたくなるようなもの」の中にこそ大事なものが残っていたりします。
いびつで、生臭く、クセの強いものは、たとえそれが事実だったとしても受け入れたくないかもしれません。しかし、その意図的に捨て去られた灰汁の部分に大事なものがたっぷり入っていることもよくあります。
多くの人たちが捨て去っているからこそ、「生」を取り込んでやろうと挑戦してみることには大いなる価値があると思います。
踏み込んだ者だけ得られる。
そういうことなのです。
言いたいことは言ったので、アクの強そうなおじさんの絵を描いてブログを終わらせる。
今後も使えそうな手法です。
にしけい