自分は「珍しい手相」だと信じている人は手を見ている場合じゃないかも

「珍しい手相って言われた!」
「珍しい手相の紹介に自分の手は当てはまる!」
「○人に1人の手相だと言われた!」

手相を見た人数が1000人過ぎたぐらいで気づくはずなんですよね。勘のいい人ならおそらくもっと早めに気づけるはずなんです。「珍しい手相ってないな」と。手相を見始めのころは「これは見たことがない形だな」というようなパターンや「指が欠損しているのはどう解釈したらいいんだろう」といった具合に「珍しい手相と感じる」パターンが出てきます。

しかし、いろんな場所でたくさん手相を見ていると「珍しい」というものが「何をもって珍しいのか」とか「全部それぞれ違うわけだから珍しいと考えるっておかしいよな」ということに気づくと同時に、見ている数が増えてくると「珍しい」と感じる手相がなくなってきます。

今は手相を見なくても現象で占ったりするので、手はほとんど見ていませんが、それでも月40-50人ぐらいは見ています。それぐらいのスパンでやってるともう珍しいと感じる手相ってなくなるんですね。

 

珍しい手相って何?

 

手相に関する本も読み漁ってきましたが、古今東西いろんな手相の本で「珍しい手相」と記述されているものがあります。古今東西で記述されているということは珍しいわけじゃないんですね。いつの時代も、どの地域でも観測されているわけですから、逆に普遍的です。そして同じ線の分類でも名称や解釈が異なります。

そもそも「珍しい」とか「レアだ」と判断するためには、部分を切り取って引っ張り出す必要があるんですね。特定の範囲内から外れているものを珍しいと称するわけですが、その特定の範囲をどの部分でどのような範囲に設定するかで変わってくるわけです。日本という国土の範囲では見つかりにくいからアフリカゾウは動物園にいて、その物珍しさに人々は集まります。「もう今週だけで3回はアフリカゾウにタックルされたよ」ぐらいの出現率であれば珍しくはありません。何度も言うように「珍しい」と断じるには「範囲の設定」が必要になり、手相を観察する頻度や経験が増えると範囲が広がり「珍しい」と感じることがなくなっていきます。

 

「珍しい」と判断・認定する側の特徴

 

学習能力

 

これを読んでるあなたも最初は驚いたりレアケースだなと思ったけれど、何度も同じことが続くと「そうでもないことなんだな」と気づいた経験はありませんか?何度もやってる途中で「このパターンか」と思う出来事はありませんでしたか?

コンビニのバイトでも最初は「ええー!クロネコヤマトの手配ってどうすんのー?」とか「初夜勤大丈夫かなー」と思っても、何度もやってるうちに「ああ、これね」という風になります。これを「学習」と言います。

これを踏まえた上で「たくさんの人の手相を見た」と言っている占い師で「珍しい手相だ」と口にする人はまず学習能力が低い可能性があります。これはバカにしたり嘲笑したりしたいのではなく、冒頭に述べたように「パターンに気づく」ということが得意な人とそうではない人がいますから、差はあって当然です。

 

経験豊富アピール

 

もうひとつは「たくさんの人の手相を見た」とか「経験年数が長い」ということ自体が嘘というパターンです。こちらのほうが逆に安心します。商業上の都合から経験豊富さをアピールしたいがために虚偽の人数や経歴報告することは古今東西よく用いられる手段です。誠意があるかと言われれば別ですが、アピールしたい気持ちはわかります。しかし、その上で「珍しい手相だ」と断じてしまうとメッキが剥がれてしまうので、徹底して経験者を演じて欲しいなと思います。誰にでも「初めて」や「始めたて」のころはありますので、そこは素直に「まだ500人ぐらいです」とか「始めて3ヶ月です」とか言ってもいいんじゃないかなと思います。専門家ぶりたい気持ちも分からなくないですが、その戦略が合わないならやめておいたほうがいいと思います。

 

コスパ良くチヤホヤできる

 

「珍しい手相だ」と言われると「なんとなく嬉しい気持ち」になる人は多いのではないでしょうか。日本におけるアフリカゾウのように「自分は何だか特別な存在なんだ」という気持ちになりちょっとした高揚感(ルンルン)が生まれたのではないでしょうか。「珍しい手相」という言葉は比較的簡単に相手に高揚感を与えることが出来ます。言われて「悪い気はしない」という感じです。

この言葉は非常にコスパがいいんですね。その一言で相手に高揚感を与えると同時に「本当に自分は珍しい手相なのか?」ということを確認しようとする人はほとんどいません。ローリスクでハイリターンな言葉なんです。便利ですね。なので「とりあえず言っておいて損はない言葉」なんですけど「お世話になっております」という言葉なんかよりも強く相手にポジティブな感情を抱かせることができます。

相手を簡単にルンルンにしたいとき、相手のご機嫌を取りたい時。それはどんなときかというと自分が嫌われたくない、自分もチヤホヤされたいときです。「自分の手相は珍しいと判断した人」つまり「自分には特別な要素がある」と見定めてくれた人を無碍にはしません。「きっとあの先生はすごい人だろう」とか「あの人は本当のことを言っているのだ」と思いたいはずですから、自然と珍しい手相だと断じた相手に好意的になったりチヤホヤしようと思うようになります。

ちょっと落ち込んでいるときや自信がないときは「あのすごい人から私は特別だと言われた」という認識は心の支えのようになるのかもしれません。つまり「珍しい手相です」というのは誰も損しないwin-winな言葉なんですね。「コスパも良くてwin-winになるならいいじゃん!」と思うかもしれませんし、僕もそう思います。しかし、コスパが良いことをしようとしているということは悪く言えば「手抜き」なんですね。魂胆は「楽したい」ですから、探究心や向上心は薄いと見て良いと思います。

「珍しい手相ですね」という占い師はだいたいがテンプレトーク化している傾向があるので、手相を見た時に「言うセリフ」みたいなものが決まってるんですね。場合によっては説教のようなことを始めたり、自分の価値観のみを押し付けたりします。このあたりは本題とズレるので言及しませんが、テンプレトークもコスパ良く占ってる感じを出せるんですね。非常に楽チンです。それが良いか悪いかはさておきです。

 

注目を集めたい

 

先程の「コスパよくチヤホヤできる」というのと重複する部分もありますが、多くの人が自分をチヤホヤしてくれる人に寄っていきます。特に心が弱っているときや、現状に満足していないときは自分をチヤホヤして自尊心を高めてくれる相手に寄っていきたくなるものです。つまり「珍しい手相だ」と他者を認定することで、言われた側が今度はチヤホヤするようになります。

平たく言えば「珍しい手相はこれだ」とか「これは○万人に1人の手相だ!」といった「珍しい手相」という発信をブログや動画などでしている人は注目やお金を集めたいんですね。しかも何度も言うようにコスパがいい言葉なので病みつきになってしまうんですね。自分が注目を浴びるダシにあなたの手相を使っているわけですが、「珍しい手相だ」と言われた人は「そう思いたくないバイアス」がかかるので「あの人はすごい人だ」「あの先生は真面目に研究されている」と庇護してしまうようになります。

 

「珍しい手相」と発信する側

 

簡単にまとめると「珍しい手相だ」と発信・認定する側の人は下記のどれかのパターンか複合型です。

1 手相を見た数が少ない
2 学習していない
3 コスパ良くチヤホヤしてる
4 自分が注目を浴びたい

2は向上心が低い、3は受け売りとテンプレトークが多いです。4は占いに来た人やブログを読んだ人や動画を見た人をダシに使う感じです。テレビも同じですね。

なので、1以外は総じて手抜きというかそこまで占い自体を探求したい人ではないんだなーと思ってもらって大丈夫です。「鑑定人○万人、○年の実績」と謳っていながら「珍しい手相だ」と言う人がいたら2,3,4いずれかもしくは全て該当すると認識してもらって大丈夫です。自分もそのフェーズを通ってきた道だからわかるんです。でも、そのフェーズにいるということに気づいてしまった以上本来はそれを打破して次のフェーズに進むべきなんです。

実は見透かされてるのは手相を見る方の人間なんですよね。

 

「珍しい手相だ」と思いたいことが真実

 

ここまでにも何度か書いていますが「珍しい手相だ」と言われ、それを鵜呑みにしたり信じたり心の糧にしている状態が「現状」なんです。何か自信がないとか、心が弱っているとか、そういう状態です。なので「珍しい手相って言われたんですよ〜」と誰かに主張する人がいたら、ちょっと心配してあげてください。

「自分は特別な存在だ!」と思いたいわけですから、きっと何か自尊心を失うような出来事があったり、自分の居場所がなかったりするのだと思います。孤独感を感じているのかもしれません。

手相を見るよりも手相をどう捉えているかのほうが結構情報としては重要で、化学の定性試験みたいなものなんですね。

「珍しい手相だ」と言われて自尊心が少しでも向上したのであればそれはそれで良いですし、それをぶっ壊すような記事を書いてしまい恐縮です。しかし「珍しい手相だ」と信じて、それを心の支えにしている現状をどうにかしようと行動しないと現状は変わりません。

 

石川啄木は

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

という詩を残していますが、石川啄木自身かなり病みやすい神経質な性格だったと言われています。じっと手を見て物思いにふけてもいいですけど、そんな時間があるなら睡眠を取ったり、趣味の時間にあてたほうが状況は好転する気がします。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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