頭が空っぽだと気づくには時空間的な空っぽが必要(ニュージランド旅行記3)

慣れないオークランドの街を歩き疲れた僕は、オシャレなカフェや飲食店に入るでもなく、公園の木陰で休んでいました。

このアルバート公園は、近くにオークランド大学・オークランド工科大学などが並び、学生たちの憩いの場にもなっていました。

日本からもニュージランドへ留学する人々は多いらしく、温暖な気候の中学べることは語学や研究以外に温厚な人間性を育めるメリットがあるのではないかと思いました。

こんな環境で勉強したら、勉強とかどうでもよくなってしまわないか心配になりましたが、おだやかな環境で自由気ままに青春を楽しむ学生たちを羨ましくもありました。

今回も10リットルほどのリュックサック1つでニュージーランドにきました。

Amazonで1700円ほどで買ったSIMカードを差し替えて使いましたが、十分すぎるほどネットはつながりました。

あと、いたるところでクレジットカードが使えるため、日本円からNZドルに換金したものの使ったのは市バスに乗るときぐらいで、あとはどこでもクレカが使えました。

夏ということもありましたし、本当に荷物が少なく済みました。

荷物の少なさから、ついさっき空港に到着した観光客には見えなかったのかもしれません。

ちょっとお腹が減っていたので、現地人でも考えつかないことも考えていました。

このようにオークランドでは公園でボーッとしたり、海を眺めたり、本を読んだり、思いついたことをメモしたり…と、あまり日本と変わらぬ過ごし方をしました。

きっと探せばウェイウェイ系の観光客向けのアクティビティもたくさんあったのでしょうけれども、ただひたすら街の中を散歩して、バスに乗ってロトルア行きの飛行機に乗りました。

僕は「わかりやすく楽しいもの」「楽しいの押し付け」みたいなアクティビティに興味がもてないのだなぁと実感しました。

昔はドッジボールとかスキーとかわかりやすく楽しいものが大好きだったはずなのに。無邪気に笑っていたはずなのに。

陽気な街が、それとは対照的な僕の心情を浮き彫りにしました。

 

僕はこの余暇を意味する「バカンス」が苦手だということ気づきました。

 

「バカンス」「バケーション」という言葉は「Vacancy(空っぽ)」に由来しているのだと思いますが

僕はどうも頭を「空っぽ」にすることが怖かったようです。

占いは人間以外の存在からもお叱りやアドバイスをもらえる方法の1つです。

 

でも、この「空っぽ」がないと、新しいものが生み出されません。

運気を変える(転換)するための科学的考察(占いと科学の交差点)

 

「空(くう)」が怖い。

なるほど、そりゃ病気になるわけだ。

スケジュールや仕事をめいいっぱい詰め込んで「空っぽ」とはかけ離れた生活をしていたんだなと、ニュージランドにきてようやく気づくことができました。

温泉街ロトルアではもっと頭を空っぽにしようと、心に決めました。

でも、これってまた頭に目的を詰め込むわけだから、本当の空っぽにするためにはそれすら考えないようにしなければならない…

けれど、考えないようにしているということを考えている時点で…

と1人脳内ツッコミを入れているうちに飛行機はロトルアに到着していました。

 

 

手放す。空っぽを作る。

 

 

やっぱりこれ大事かも。

 

つづく

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