求められていないのに提供するのは提供する側の「呪い(縛り)」だったりする
相手が望んでいないものを渡したり、送ったりするのは、送る側から受ける側に対する縛り(呪)だったりもするんだよなー。形が残るものは渡すのも受け取るのも気を遣うようにしてる。 — にしけい/Nishikei (
人間観察
相手が望んでいないものを渡したり、送ったりするのは、送る側から受ける側に対する縛り(呪)だったりもするんだよなー。形が残るものは渡すのも受け取るのも気を遣うようにしてる。 — にしけい/Nishikei (
より大きな混沌(疑問)を抱えて、それに挑んだ人が見出した答えや法則をより小さな混沌を抱えている人が認知しても理解できない。また、その答えや法則を無理やり理解・実践しようとしても必ずゆがみが生じる。 「なぜそれを疑問に感じ
特定の対象に強い興味関心・好意を抱いたとします。その気持ちが強すぎると「会いに行くの恥ずかしい」とか「おそれおおくて連絡できない」という状況に陥る場合もあるようです。 しかし、その対象は「ずっと存在する」のでしょうか?
どうしようもないモヤモヤ、言葉にできない気持ち、憤り、不安、不満、葛藤…こういったハッキリと言語化できない状況を「混沌」とします。 反対に、きっちりと「識別」「分類」「分別」されて白黒ハッキリとした状況を「分明」とします
歩いて引越しのとき1日20km歩いたりしていたのに引越しを完了しても1kgも痩せていませんでした。 さらにその後、仙台で伊達政宗の「青葉丸本丸会館」まで駅から歩いて往復(15kmぐらい)して、ホテルでサウナに入ったにもか
何か仕事をするとき、必ず「相手」がいます。サービスや商品を提供する側にまわったときにどうしても「提供者側が頑張らなきゃ」と気合を入れたり、肩に力が入ったりします。相手や用件によってはプレッシャーやストレスになることも。
最近、維摩経というものにハマっています。「ハマる」ということはこの維摩経の考え方的にはアウトなんだけど、なぜこのように面白い仏典があることを知らなかったのか後悔していると同時に知れてよかったなと思っています。 維摩経はク
いろいろなところで「移動距離」と「収入」や「アイディア発生頻度」が比例する、というお話を聞きます。 わりとフリーランスとか経営者の方たちの中では常識のようで、僕もやんわり移動距離=収入説を信仰していました。自分自身これが
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