手相・人相(相術)における「性別によって観法を変える」ことについて

占いの技術の中には「性別」によって見方を変えるものがけっこうあります。

「男だったらA、女だったらBで〜」というものですね。性別による二項対立はいろんなところで用いられてきていて、観法を「逆転させる」ものが多いです。

しかし、結論を言うと相術においては「性差」はあまり気にせず見ていった方が当たります。

まず、巷で流布されている「男は右手〜女は左手〜(逆もあり)」説はバッサリ切ります。当たりません。というか、なぜこのような説が発生したのかがよくわかりません。いろいろ本を読み漁っていますが、右手左手男女説は日本だと昭和中期ぐらいの本でよく見られます。

この時期の占い本はやたらと性と絡めたものが多く「なんか昭和だなぁ…」というものが多いです。(当たり前なんですが、この表現が一番しっくりきます)

会社の課長か部長ぐらいのおじさんが、女性の手を触るための口実に書かれたようなものが多いので、非常にセクシャリティを強調する表現が多いです。

また、人相(顔相)においては「人形法」「逆人形法」というものを結構な大御所の相術家の本に書いてあるせいか、採用している人が多い印象です。

で、この人形法自体が悪いわけではなくて、この手法から導き出された「具体的表現」をそのまま鵜呑みに使っていることがちょっと危険、というかナンセンスだなーと感じるのです。

実はこの人形法から導き出された具体的表現は「男性」と「女性」で違うことを言っているように見えて、同じようなニュアンスのことを言っています。

例えば「フットワークが軽い」ことを、男性では吉として表現しているし、女性では「凶」として表現していたりします。つまり、特定の方向性に沿って吉凶を断ずるために性別によって観法を使い分けているようなのです。

確かに、男性と女性では機能や形質の傾向が異なる部分もあるので、観法に差が出てもおかしくはない気がしますが、実際突き詰めていくと「性別によって見方変えなくても良くない?」という結論です。具体的表現が違うだけです。

で、これらをそのまま使っていると時代錯誤というか、現状に合わない表現になったりして、違和感が生まれてきます。

個人的には占い云々というよりも「性」を「別」にする必要もないしなーという気もしています。ただカテゴライズされた方が「安心」「アイデンティティが保たれる」ということであればそれはそれでいいかなーというスタンスです。

緊縛趣味の友達が「縛られて固定されると安心する」と言っていたので、何かに縛られ捉われるというのは案外みんな好きでやっていることなのかもしれませんね。

僕は小学校のときから学校の掃除時間に勝手に帰宅してゲームしたり、お菓子食べたりしてたので、縛られるのが苦手みたいです。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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