過去に僕も手相コラムとして「線の意味」についていくつか記事を書いています。
しかし、今となってはこれらの記事を削除したいぐらい考え方が変わっています。
拙著「手相占いを本気で勉強したい人に知っておいてほしい疑うべき手相の読み方」の中でも述べていますが
特定の線に特定の意味を付与させることは「注目や利益を集めたい」という個人的な生存欲のみ満たされるだけであり、そこから誤った情報が拡散され、後学の術者たちが困惑するおそれがあります。刹那的というか消耗品的なインスタントな行為なのです。
特定の線に特定の名前をつけることは下記の2点の懸念事項があります。
1.具体的表現で止まっている
2.よく検証していない
この2点です。
具体的表現の効用と弊害
具体的表現は意味を把握しイメージしやすいため、拡散・伝播しやすく、印象にも残ります。
そのため話題性があり、大衆の記憶に残りやすいです。これは商業的にはめちゃくちゃ効果的です。これをやれば大衆やメディアから注目される確率は高まります。
手相を使ってお金儲けに走るならこれが一番手っ取り早いです。現在この行為をしている人たちを批判するわけにはいきません。なぜならこの手法は14世紀頃からもう既に使われています。これまでの手相の歴史を紐解いてみると人々の心や関心を掴むために「ウケそうな名前」をつけてきた人たちはたくさんいたのです。
どの時代にもどの文化にもそういった人たちがいました。
それで食っていた、命をつないでいた人もいると思います。生きるために必死だったのかもしれません。
何度も言うように特定の線や印に名前や意味を保持させることには、人々の注目が集まる可能性が高いです。
平たく言うと「かまってちゃん」か「お金か注目を集めたい人」ということになります。
で、だいたいそういう人が発する「具体的表現」は古今東西、十分な検証をされずにつけられていることが多々あります。
ここで「十分な検証」という言葉について言及しておきますと、基本的に占いは経験則であり統計学ではありません。なのでどこまで言っても「十分な」検証というのは不可能なのです。
しかしここで言及している「十分な検証」は「身内や特定集団内で何人〜何十人か検証したレベル」ではないということです。類似した個体は集合しやすい、という傾向があります。
これにより特定の狭い範囲(100人未満程度)では、そのネーミングでも当たる可能性があります。
ただ、実際は特定の集団内でも10人ぐらい超えると「その法則に当てはまらない人」が出てきます。
例えば、江戸時代〜昭和初期の手相本にも「小指下に十字のような線があった場合水難事故に遭う」といった言及がなされている書などもあり、現代を生きる我々にとっては少し「ほんまかいな」と滑稽に思う法則かもしれません。そうなのです、これが全く当たらないのです。というか当たったとしても確率は限りなく小さいです。
しかし、これと同じようなことは現代でも行われています。現代っぽく姿形を変えて。
これから特定のしるしに対して具体的特定表現(ネーミング)しようとする人は、下記のことを考えてください。
具体的特定表現は「プリウス線」「ランドクルーザー線」というのと変わらないわけですが
プリウスやランドクルーザーは自動車であり、人工物であり、動くものです。
手相占いや相術が「当たらない」「面白くない」「挫折してしまった」という人々のほとんどが
この「プリウス線」という記述を見て、いや自分が乗ってるのはタントだから当たってないじゃんとサジを投げているのです。
そもそもタントでも何でもなく、ドンピシャで自分が刺さるポイントは「ヘリコプター」だったとしたら「自動車」というくくりの抽象度でも「正解」に出会えません。
でも少し抽象度を高めて「人工物」だったら「ヘリコプター」も「当たった」になるわけです。
つまり、手相の習得を挫折してしまった人たちが悪いのではなく、具体的特定表現によって手相の自由度を縛っている書籍や講師たち側に問題があるのです。
何度も言うように、具体的特定表現は印象に残るし、初学者にとっての掴みやとっかかりにはいいかもしれません。初心者のうちはそれでもいいかもしれません。
しかし、具体的特定表現に固執、固定されてしまうと途端に手相が当たらなくなるし、途端につまらないものになってしまいます。
タロットカードの「吊るされた男」のカードが出たら必ず「リストラされます」と予言するがことく、意味を固定してしまうことは滑稽で危険なのです。
他の占術はそうでもないのですが、なぜか手相や相術に限っては「意味の固定」がまだまだ当たり前のように行われていて、研究する人が少ないです。なぜか疑う人が少ないのです。
でも、素直に実直に手相と人を観察していたらすぐに「これは当たらない」と気づくはずなのです。
生命線・知能線という名前すらどうでもいい
というわけで、一人ぐらい相術の超抽象化に取り組む研究者がいてもいいのではと思い、研究を進めていますが
2019年11月現在、生命線や知能線という名前すらどうでもよくなってきました。というか、あまり妥当性がないのでは?という域にきております。
じゃあどうやって手相を読み取っているかというと、抽象化していった先にたどり着いた普遍的な循環が見えてきたので、これに則って占っています。
抽象フェーズと抽象フェーズをスポットライトのように重ねて、重なったポイントから具体的事象を抽出していくのです。
教室の生徒さんたちにも「名前がつけられているものは全部かまってちゃんが作ったものだから無視していい」と教えていますし、僕自身も無視しています。だって当たらないor限定的な範囲のみで当たる、ルールなので記憶するだけ無駄です。
今書いてる手相本、気学だけじゃなくて占星術、タロット、数秘、セフィロトの樹といった他ジャンルからの手相導入が可能になるので、相術導入したい人が導入しやすい内容になっています。早く仕上げねば!
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) November 13, 2019
易や気学がわかると手相もまたおもしろくなるし、新たな解釈が生まれるから本当に面白い。生命線の夜明け感とか、運命線の地の気感とか、すごいおもしろい。手相すごくおもしろい。相術ほんとうおもしろい。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) November 13, 2019
手相は、手は、もっともっとおもしろくなります。
にしけい