【易解説】お肉をゲット!火天大有を理解して実生活に落とし込む。

周易講座2期で改めて易の理解を深めつつ面白さをお伝えしようと奮闘しております。前回4回目で「火天大有」という卦をご紹介したのですが、この卦を絵で表すとこんな感じです。

 

 

「有」という漢字の成り立ち自体が「右手で肉をもっているところ」を表しています。「大きな有」なので「大きなお肉を持っているところ」という感じです。

「大きなお肉をもっている」ということで「大きなモノを得る」というようなニュアンスで紹介されていることが多いのですが、このお肉は実は「捧げ物」なのです。神様や祖先を祭るための供物のためのお肉なんですね。

爻辞も終始「手放すこと」を言っていて三爻目「公もって天子に亨せらる。小人は害あるなり」はその最たることを言っています。「賢い人(天子)は貢物を献上して、愚かな人は心が狭くそれができない」ということです。「大有」は「大きなチャンスを掴む」ということで一見良さげな卦なんですが、その実「手放した分だけ手に入る」という感じなんですね。

Whisperでもこっそりつぶやいたのですが、何も失わずに、何も賭けずに何かを得ようとするというのは赤ちゃんと同じなんですね。もしかしたら赤ちゃんより赤ちゃんかもしれません。

お金は払いたくないし、自販機壊す度胸もないし、何も失いたくないけど、自販機の中のジュースが飲みたいです。それって赤ちゃんの考えじゃないの?赤ちゃんと同じで指をくわえて見て待ってるだけでいいの?

自分は傷つきたくない、何も失いたくない、痛い目も見たくない、損失を被りたくない、失敗したくない、お金も払いたくない、時間もさきたくない、労力もかけたくない、工夫もしたくない…だけど「手に入れたい」。

もし自販機の前でこのようなことを言って泣いて「でもジュースを手に入れて、飲みた〜い!」と言っている人がいたら驚きますよね。でも、実際これと同じことを言っているひとってけっこういるんじゃないかと思います。それは年齢や性別問わずです。子どもでも「何かを賭けて得ようとしている人」もいれば、大人や老人でも「何も失いたくないけど欲しい」と言っているひともいます。

火天大有の卦にあるように「何も失いたくない人」は何も得られないんですね。たまにテレビなどでチンパンジーが仕掛け容器の中に棒切れをつっこんでバナナやリンゴを取ろうと工夫する実験の映像が流れたりしますが、ああやって欲しいものや手に入れたいものがあったらチンパンジーでさえ自分なりに考えて試行錯誤して取ろうとするわけです。

「◯◯になりたい」「◯◯が欲しい」「◯◯を教えて欲しい」と「欲すること」は決して悪いことではありません。しかし、指をくわえて待っているだけではいつまでたっても何も手に入りません。何かを賭ける必要があります。

それは時間かもしれないし、お金かもしれないし、労力かもしれない。すぐには手に入らないものかもしれません。お金でも時間でも手に入らなくて「策略」が必要なものかもしれないし、「度胸」が必要なものかもしれません。

あなたが欲しいモノを手に入れるために賭けられるものは何でしょう?火天大有のように「差し出せるもの」は何でしょうか。易経でもしばしば出てきますが「吝(りん)=ケチる」と何も手に入らないのです。

僕の経験上ですが、ただ欲しがるだけの「くれくれちゃん」は、それを手に入れるための手段や解決策を提案しても実際に行動しない人がほとんどです。あれをしたい、これを達成したい、こうなりたい…そのために「これをやってみたらいいんじゃない?」と提示しても全く行動に移さず、ひどい場合「もっと簡単な方法はないの?」とか「それってお金かかるじゃん」と文句を言い出します。

「何も失いたくない人」「くれくれちゃん」はもっとも大事な「信頼」や「信用」というものを失っているんですね。「教えて欲しい」と言うから提案したのに、それを行動に移さないわけですから「もう言っても無駄だ」となり、それ以上その人に何も教えることはなくなるわけですね。信用と同時に「チャンス」や「より良い話」も入ってこなくなるわけです。

ちなみに火天大有の上卦が「坎」になる「水天需」は「物質的・実利的な恵み」になるのですが、火天大有が得られるのは「信用」や「ヒント」といった精神性や考えに恵みを与える「無形物」というニュアンスが強いです。そして、その得られたヒントをもとに実際に行動するから「最終的にはモノやお金」も手に入るのでしょうね。

あなたのまわりにも「逆大有」な「くれくれちゃん」な人がいたら、そっと火天大有の卦辞や爻辞を紙に書いて教えてあげてくださいね。そのヒントのありがたみにすら気づけないかもしれませんが、あなたはそれで誰かのために「ひとつ」手放したことになるので、それがあなたに返ってくるわけです。

急がば回れ。コツコツと1つずつやっていきましょう。僕についている神様はたぶん野菜派だと思うので、肉ではなくキャベツを捧げようと思います。トルコで買ったザクロソースをかけてさっぱり召し上がれ。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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