先日、手相教室で一人の生徒さんから手の写真を見せてもらったときの話です。
認知症が進行されている女性の手の写真で、認知症になる前は看護師としてバリバリ働いていたそうです。
僕はこの方の手の写真を見て、なんとも言えない気持ちになりました。
この方の生きてきたストーリーが手のひらの情報を通して伝わってきたのです。
手から伝わってきた彼女の人生は…
戦後間もないころ。長女で頼ることも甘えることも自由に恋愛することも許されなかった。
もっと生まれ育った故郷にいたかった。おそらく故郷に好きな人がいた。
生活やお金のために、自分の願望を振り切って看護師になり、我慢して生きてきた…。
この人の情報が、手から伝わり、僕の頭の中に入ってきて
熱いモヤモヤとしたものが胸のあたりまで込み上げてきました。
家族や他人のために尽力し、自分のことは後回し。
きっと甘えたかったのだろうなぁ。もっとワガママ言いたかったのだろうなぁ。
それを言い出したくても言えなかった。
だからこの人は「認知症」というきっかけを自ら望んで選び
「介護してもらう状況」「甘えられる状況」を作り出したのかもしれない。
そうでもしない限り、この人は「変わるきっかけ」がなかったのかもしれない。
生徒さんからLINEでこの女性の手相の写真を送ってもらったので、たまに眺めていますが
何とも言えない気持ちになります。
人間の不器用さ。変化することへの恐怖感。
それでも自分を変えたくて葛藤して生きてきた証が手から伝わってくるのです。
「記憶がなくなっていく病」にまでかからないと、誰かに甘えられない。頼ることができない。
「変わるきっかけ」なんて何でもいいはずなのだけれど、この人はわざと「認知症」を選んだのかもしれない。
それぐらいこの人が生きてきた境遇は大変なものだったことが手から伺い知れる。
揺るぎない証拠が刻まれている。
だからこの手の写真を眺めるたびに胸が苦しくなります。
人は変わるためのきっかけ・合図が欲しい
人間は願望を達成するために、それを後押しする「きっかけ」「合図」が欲しい生き物です。
その合図は何でもいいのです。
占い師が言った言葉でもいい。
パラパラと風でめくれた公園に落ちている雑誌の1ページでもいい。
先述した女性のように「病」がきっかけになる場合もあるかもしれない。
「自分以外が出してくれた合図」にどれだけ救われる人はいるのだろうか。
自分以外の存在に「何か合図が欲しい」と願っている人はどれだけいるのだろうか。
まるで出走のピストルの音を待つランナーのように。
あとは「合図」さえあれば、すぐにでも走り出せる人たちはたくさんいるのではないでしょうか。
自分では決められない葛藤に対して「自分で決めてください」という言葉ほど残酷なものはありません。
あなたが何気なく発した言葉が、誰かの合図になるかもしれない。
全く関係のない、他人が出すからこそ合図には価値があります。
だから「他人の人生を変えてしまうから下手なことは言えない」なんて考えなくていいのです。
誰かの人生を変える合図なんて
ありとあらゆるところに転がっているけれど、望んでいない人にとってはどこにもないのと同じです。
きっかけや合図は常にあなたのまわりに存在しています。
あとはあなたが望むか望まないか。ただそれだけなのです。
にしけい