「戦い」というものは、一点に複数のものが凝集・集合する状態を指すんですね。
例えば、あなたが誰かを殴りつけるときに何が起きているかというと、特定の空間にあなたの拳と相手の頬が集合している状態を指すわけです。空間を互いに占拠しようとするような状態です。ここに「衝突」が起きるわけです。交通事故がわかりやすいですね。交差点や特定の座標に複数の自動車が集まっているわけです。
「立場」をめぐっての椅子取りゲームもわかりやすいですね。特定のポジションを狙って複数の存在が、そのポジションに集まって衝突するわけです。格闘技や相撲などもそうですが、「戦い」が起きる時は必ず「凝集」の作用が起きるんですね。
五行の「金」や、九星の六白金星、八卦の「乾」は、一言で言うとこの「凝集の作用」を持っています。「戦い」を抽象的に表現するとしたら、「一点に凝集すること」であり、「勝ち」とはその結果自分自身が変化しない状態で、負けは自分自身が変化させられる状態と言えます。
この凝集が解除されれば、自然と喧嘩や争いはなくなっていきます。ここ1〜2ヶ月ほど、なぜか夫婦やカップルの不仲のご相談が相次ぎましたが、夫婦やカップルは一緒に暮らしている状態だと、距離が近くなるわけです。凝集して暮らしているわけです。ここで「同化」が起きて「1つ」になれれば(混化)、問題はないのですが、おのおのが「1つ」であろうとすると、必ず戦いが起きます。
「自分を変化させたくない者」同士が1点に集合すると戦いが起きるわけです。夫婦喧嘩やカップルの喧嘩もこれです。距離が近いから発生するわけです。
距離が近くなると、特定の部分しか見えなくなります。テレビやスマホの画面に顔を近づけていってみてくてください。特定の部分しか視界に入らなくなります。「相手の嫌な部分」「相手の気に食わない部分」のみが見ていている状態です。やはりこれも凝集の作用によって距離が近づいているからこそ、視野や考え方が狭くなっていくわけです。
「恋」も仕組みとしては同じようなもので、距離が近づいていくことで、相手の特定の部分(好きな部分)しか見えなくなる状態が「恋」になります。「愛」は反対に相手の全体を見ることで育まれていきます。
なので、喧嘩や対立が起きたまず「距離」を取ることが大事なんですね。凝集されて一点に集合してしまうから争いが起きるので、物理的に空間的に距離を取ることも大事です。簡単に言うと、「物理的に外に出ること」が大事になります。
次に、視野も狭くなっていますから、考え方の面でも視野を広くする必要があり、もっとも簡単な方法が「部外者と話をすること」だと思います。部外者と自分の状況を共有するためには、自分の状況を説明する必要があり、言語化するだけでも「集合して相手と衝突していた自分」を離れることができます。
不思議なもので、「夫についてイライラしています」という方でも、ご相談に来てくださった翌日になると、「なぜか夫が優しくなりました」と報告してくださるパターンがあります。これはおそらく、僕という部外者に話すことで、その方の考え方や視座が変化して、それが表情や態度に自然と出て、それに気づいたパートナーの態度も軟化する…という仕組みなのではないかと考えています。
「戦略」「戦い方」「作戦」といった風に、その人の生き方を論じる際に「戦」という感じが使われる場合がありますが、この「戦」という漢字を使っている以上、凝集作用が働き「誰かと椅子取りゲームをしながら暮らす」という前提があるんですね。でも、一番いいのは椅子取りゲームにすら参加しないことですし、戦いが発生したらなるべく「外に出る」「外に向かう」ことが大事です。ブラックホールのように一点に吸い寄せられている状態から外に出るわけです。
これは家庭でも組織でも仕事でも同じです。自分自身が「求めているもの」というのは「惹かれているもの」と言い換えることができますし、「引かれていること」という風にも捉えることが出来ます。あなたが欲しているもの、求めているものは、言い換えると何かに引っ張られているわけです。そして、戦いの相手も同じものに引っ張られて集合しているわけです。
その仕組みさえ理解できたら、そこまで争いや戦いは起きなくなります。戦わないことが最上の戦略なんですけど、寂しい気持ちが強い人は集まりたくなって、ぶつかり合いたくなるんですね。
にしけい