なぜ目に見えるもの・確かなものを追い求めるのか

見えないもの・未知なものを信じられるという状態は、自分を信じている状態なのかもしれません。

自分を信じられないと、他者や目に見えるもの、既ににある確かなものを信じたくなります。

自分を信じられるようになるには、自分の嫌なところと向き合ったり、自分の中の前提を何度も壊したりするしかないんですよね。その過程で「自分で何かを成し遂げる」という状態が起きたりもするのですが、それは結構おまけなのかもしれません。

(最近、自分を固定するために知識を身につけることも、実は動物的な作業なのかもしれないとも考えています)

それで、この自分と向き合ったり、自分はおかしいんじゃないか、何か間違っていたんじゃないかという作業を避けるのはなぜかというと、楽だからだと思います。他者や目に見えるもの、既にあるものを信じたほうが楽なんですね。

見えないもの・未知なものを信じられる状態は、「希望をもつこと」に近いと思います。希望と妄想は全然違って、希望は内から湧いてくるもの、妄想は外から与えられたもので作られるもの。という感じがします。説明が適当ですみません。最近よく「希望」について思索しますが、今後も要言語化が必要です。

Have a nice chaos !

(カオスって単数系?複数形?)

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山生まれ。19歳から手相占いを独学で始める。化学系工学修士。商社での開発営業職を経て占いを生業に独立。専門分野は手相・易・気学・家相・風水・墓相など。著書50冊以上、世界15カ国での実占経験。三児の父。

よくご質問をいただくので、手相占いの記事・書籍・講座などについてまとめました。

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