「好きな人には振り向いてもらえないけれど、好きじゃない人は寄ってくる現象」についていろんな人を観察していて気づいたことをまとめてみます。合っているかわかりませんが、このような傾向があるのではないかなぁと思っています。
まず、人には好き嫌いがあります。
「好きなものボックス」と「嫌いなものボックス」があったとします。
ここに、好きか嫌いかを選別していきます。
しかし、お気づきのように人間には「曖昧さ」があります。
なので、好きにも嫌いにもいける「曖昧なものボックス」があります。
おそらくですが、恋愛において「曖昧さ」は重要なようで、この「曖昧さ」があるからこそ、希望や夢を抱いたり不安になったりします。
しかし、曖昧さは「気持ちが動く」ことにつながりますから、恋愛において重要なファクターになってきます。(詳しくは後ほど解説します)
好きな人な人に振り向いてもらえない現象
さて、本題です。
まず「好きな人には振り向いてもらえない」という現象です。
好きな人には振り向いてもらえないという人には共通点があり、それは比較的「好き嫌いがはっきりしている」という点です。
「曖昧なボックス」がなく「好きなものボックス」と「嫌いなものボックス」しかありません。
「好きか嫌いか」といったもの以外に「やる・やらない」といった全てにおいて「はっきりとした線引き」をしたがります。
つまり「曖昧さ」をとことん避けようとするのです。
これはおそらく「曖昧な状態」が怖いのだと思います。
過去に特定の相手から居場所を無くされるようなひどい仕打ちを受けたとか、自分の居場所がなくなる恐怖感を覚えた…といった出来事があった場合も多いようです。
その結果「自分の居場所や存在がふわふわとした曖昧な状態」になっていることを非常に恐れ嫌います。
それゆえ、好きな人(好きなものボックスに入れた相手)にはとことん好きだと意思表示をしたり、逆に全く意思表示しなかったりします。
意思表示しすぎるパターンは「曖昧な状態」を恐れているから起きてきますし、全く意思表示しないパターンは現状の居場所がなくなってしまうことを恐れているから起きてきます。
「曖昧な状態 > 居場所がなくなる」なのか「居場所がなくなる > 曖昧な状態」のどちらが強いかで行動パターンは変わってきますが、この行動パターンについても「はっきりと線引きしたい」がために、好きな人に対して取る態度が180度変わってきます。
曖昧さと妄想
結婚するなら意思表示ははっきりしていた方が良いでしょう。「好きなものボックス」に入れて曖昧になることはありませんから、一途ですし、結婚には向くかもしれません。
しかし、結婚の前に「恋愛」を求められると、一気に戦局は不利になります。
「自分はこんなに相手をはっきりと好きと主張しているのに、なぜ相手はこの気持ちに応えてくれないの?」
恋愛には「曖昧さ」が重要になります。
「曖昧さ」は「入り込める余地」であったり「自分ならいけるかもしれない」という期待感を与えてくれます。
「曖昧さ」は決定したわけではないので「無限の可能性」が広がります。また、曖昧さは「好奇心」や「興味関心」をくすぐります。
つまり、「曖昧な態度」は相手に対して「余地」「期待」「可能性」「好奇心」「興味」を与えます。
恋愛は「相手の妄想をいかに引き起こすか」なのではないかなと思います。おそらく恋愛状態というのは「自分にとって都合のいい想像」つまり「妄想」をしている状態だと思います。この妄想は性的なものに限らずです。恋愛状態は幻想を抱いている妄想状態といえます。
よく「既婚者や恋人がいる人のほうがモテる」と聞きますが、これはおそらく「余裕」があるからこそできる曖昧な態度が、好奇心や興味関心をくすぐり妄想の起点になりやすいのだと思います。
平たく言うと曖昧な態度は「自分もいけそう」とか「なんか気になる」という感情を相手に植え付けることができるので、はっきりとした態度や主張をされるよりも「恋愛感情」に発展しやすいのです。
ここでは「曖昧さ」と表現していますが、「柔軟性」と置き換えても良いでしょう。
下の記事にも書いていますが「柔軟性」は「道具を使いこなせる能力」に比例します。人間は道具を使いこなすことで文明を切り開いてきました。何かを使いこなす能力、駆使する能力というのは必然的に「生命力」や「開拓力」につながるため、もしかしたら、より「柔軟性がある人」を好きになるのは自然の摂理なのかもしれません。
よく「包容力がある人はモテる」とも言いますが、やはりこの包容力も「柔軟性」を別の言葉に言い換えたものなのかもしれません。
「好きなものボックス」と「嫌いなものボックス」がはっきりと分かれている人は「曖昧なものボックス」を作ればいいわけですが…
好きじゃない人は寄ってくる
「いや!自分も曖昧なボックスもってるよ!」
「私だって優柔不断なところあるよ!」
という声が聞こえてきそうです。
しかし、本当にそうでしょうか。僕が観察している限りだとそれは「曖昧なものボックス」ではなく「どうでもいいものボックス」ではありませんか?
この「どうでもいいものボックス」に入ったものは、中で「嫌いなものボックス」につながっていて、本当は「嫌いなものボックス」なんです。
あまりにも「嫌いなものボックス」がいっぱいになると処理が大変なので「どうでもいいものボックス」を作って一時的にここに入れているだけなんですね。
「どうでもいいものボックス」に入ったものは、別に「嫌いなもの」でもどっちでもいいという「曖昧さ」が生まれます。
それゆえ「どうでもいい人」に対しては、ネガティブな意味での「どっちでもいい」という曖昧さを生むわけですが、曖昧さは恋愛において期待感を与える因子なので、どうでもいい人には期待させてしまうという現象が起きてきます。
その結果「好きな人には振り向いてもらえないけれど、好きじゃない人は寄ってくる現象」が起きているようなのです…。
自分が「好きなものボックスに入れた相手」が、自分のことを「好きなものボックス」に入れてくれれば、相思相愛で確固たる長い付き合いになるのですが、そうでない場合一生自分の居場所を求めて彷徨うような感じになります。
好きか嫌いかはっきりさせるのは良いのですが、なぜ自分は曖昧さを許せないのか。妥協できないのか。曖昧な状態の何が嫌なのか、いつ頃からこんな風になったのか、よりはっきりさせたい気持ちが強まった出来事は…と振り返ってみると何かヒントが得られるかもしれません。
自分の居場所というか、自分の安心できる場がどんなものか楽しい妄想をしてみてもいいかもしれませんね。
にしけい