エゴが混じると行動よりも「気合の言葉」が出てしまう現象

 

一人暮らしで熱を出して動けなくて死にそうなときに「お大事に〜!早く良くなることを心から願ってるよ!」という励ましのメールを送る人よりも、何も言わなくても実際に薬とかポカリとか冷えピタシートとかをわざわざ届けてくれる人のほうが愛があるし信用できる…と僕は考えています。

言葉は簡単に裏切ります。なぜなら何も賭けてないからです。「言うだけタダ」という言葉がありますが、本当にタダなんですね。でも「実際に行動する」となると、時間やエネルギーやお金がかかる。だから何かを賭けて、何かを失って、その行動をしている人は信用できるんですね。言葉じゃないんですね。

いくら「好きだ」とか「愛してる」とか言っても、結局行動が伴っていない場合は全く信用できないんですね。

「私海外に行ってみたいんだよね〜」って言わなくても、本当に行きたい人はパスポートとチケットを取って飛行機に飛び乗っています。本当に好きだったら誰にも宣言しなくても、勝手に行動に移すんですね。本当に自分にとって大事だと思ったら言い訳せずに行動するんですね。例えそれが遠くても、経費がかかっても、反対されても、行動に移すんですね。バンギャみたいにコンビニのバイトが終わった後すぐに着替えてスーツケースを引いて深夜の高速バスに乗って各地を遠征するんですよ。

そして、本当に好きだったらわざわざ誰かに言わなくても自分だけで楽しめばいいし、誰にも言う必要もないんですね。「ご趣味は?」と聞かれても出てこないのが本当に好きなことで、誰も見ていないところでお金やエネルギーや時間を注ぎまくってる。本当に好きなことってそんなもんなんですね。だからわざわざ言葉にしなきゃいけないというのはその時点で打算が入っていて、全然純度が低いんですね。夢中になっていて気づいたら逮捕されていたぐらいのほうが「本当に好きなもの」だったりするんですね。愛とか信頼とかってたぶんそう簡単に見えるものではないし、見せる物ではないと思うんですよね。

自分がチヤホヤされたくて言ってるうちはエゴ全開ですし、まぁそういうことが好きな人はそういうのが好きな人同士でやっていればいいと思いますけどね。でも、割とすぐにメッキが剥がれます。で、ギスギスするんですね。

あと、言葉にいちいち振り回されているうちは、おそらく現象とかそのものを観察できていない可能性があるので、誰かの相談に乗る時とかもブレちゃうんですね。結局言葉は部分ですし、情報なので。何も賭けずに、何も失わずに、何かを得ようとするのはやっぱりケチだなと思いますし、本気でやってる人に失礼だなといつも思います。

DJを目指すぞ!と意気込んでPioneerの5万ぐらいするターンテーブルを買って、2年間押し入れに入れっぱなしの僕が「DJやりてぇ〜クラブ沸かせてぇ!」と言っても信じられないですよね?本気で毎日曲やターンテーブルと向き合ってる人に「どうやったら僕もDJになれます?」とか質問するのって、なんか失礼だと思うんですよね。

何も行動していない時点で「あ、僕はDJにはそこまで興味が持てなかったんだ」と割り切ることができるんですけど、他に夢中になることや夢中になった経験がない場合、それにしがみついちゃうことがあるんですね。俺はDJ諦めないぞって。そうやってしがみつく時に気合(?)を入れなきゃ行動できないないせいか、言葉が出ちゃうんですね。「やっぱ俺DJ好きだし。やっぱ俺が渋谷沸かさなきゃ意味ねぇよなぁ!俺は地球最後の日になってもクラブでDJやって死んでやる!」みたいな。

大して好きでもないことほど気合を入れる必要があるんですね。確定申告や会社の出勤とかと同じですよ。大して純度が高くないから、大してやりたいことでもないから、アピールしたり宣言しようとするんですね。純度の高い好きだったら気合入れなくてもやっちゃいますし、何なら毎日クラブでやってるでしょうし。ついついCDショップに入ったり、誰かのプレイを見に行くと思うんですよね。だから気合入れて宣言するのって、暴走族とかヤンキーの「オラァ!東京制覇すっぞ!」みたいなアレに近いと思うんですよね。本当に好きだったらもっと静かで、分かりにくくて、スマートになっていくはずなんです。ギラギラのパラリラパラリラの単車じゃなくて、プリウスになっていくはずなんです。

エゴが入る→失いたくない→何も賭けたくない→失わずに効果的にアピールできる方法を探す→宣言や言葉に頼る

本当に好き→失ってもいい→特に何も考えない→効果とか結果とか度外視→黙って行動する

こういうことなんですね。いいんですよ。気づいたら警察の取り調べを受けているぐらいがちょうどいいんですよ。

それにしても困ったとことに、押し入れにはターンテーブル以外にもいっぱい入っていて…。ときどき方々に売りに出すのですが、しょうがないです。飽きちゃうんですね。で、最近子育てか何かの本で知ったんですけど子供は「すぐに飽きる」のではなく「すぐに満足する」と捉えたほうがいいんですって。というわけで、ターンテーブル、欲しい人いないですか?

満たされたあとのターンテーブルですから何かこう縁起がいいものになっていると思います。だって「飽きられたターンテーブル」と「満たされたターンテーブル」だったらどっちがいいですか?後者のほうがご利益ありそうですよね?ターンテーブルがスムーズに売れるなら言っておきますよ。言うだけタダですからね。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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