「神」や「霊」と呼ばれる存在は寂しがり屋なのかもしれない。

トラブルが起きやすい、問題が大きくなりやすいというのは「かまって欲しい」「注目を浴びたい」という寂しさからくるものだと考えられます。一点に凝集していく力です。外殻が出来上がることで、内部が保護され形を保つことができます。いわゆる「器」というものです。「器」は神話や物語だったりします。株式会社やお金も同じです。共同主観的です。いわゆる「神」や「霊」といったものも共同主観的に生まれます。

人々が創造したものですから、人々が信じなくなったり、認知しなくなった瞬間消えてしまいます。神社に行ってあいさつをしたり、お賽銭を投げたりしますが、神や霊が「存在する」と思い込むための儀式です。神や霊といった存在自体が「偉い」「崇高」というわけではなく、私たち人間がそうだと思い込んで創り出しているから、そういう存在になっているわけです。ブランディングです。

それで、神側から見ても認知してもらわないと存在できなくなるので、かまってもらわないと困るわけです。注目してもらわないと困るわけです。人間との共依存とも言えます。お金も「価値がある」と人間が思っているから、お金を奪われると嫌な気持ちになって、お金をもらって喜ぶわけです。姿形が変わってきてはいるものの「器」の存在は変わりません。多くの人々を一点に集め、方向性を同じようにする機能として器が使われてきました。

注目を集めたい、かまって欲しいというのは「寂しがり屋」だからこそできる能力だと思います。良くも悪くも大衆を巻き込む力です。寂しがり屋なのでかまってくれない人には無視します。「信じない人は救わない」「言うことを聞かない人は助けない」「自分を批判する人は地獄に落ちる」こういうことなんですね。身内びいきというか、親分肌というか、その存在の懐や内側に入れば助けてくれるかもしれません。しかし、外側に弾かれると徹底的に攻撃してくるでしょう。そういったフェーズを僕は一言で「右下」と呼んでいます。

とは言っても、こうやって「自分に注目を集めさせる能力」というのは未熟なまま生まれてくる赤子にとっては必要な能力ですし、受精を促すために精子を呼び寄せる信号を送る卵子もやっていることですから「自分に何かを引き寄せる凝集の力」というのは卵の時代からやっていることなんですね。それが形を変えたり、個人差があったりするだけなんですね。

そもそもあなたの肉体を形作っている細胞も、気圧も、地球の引力も、すべて「凝集の力」であり「かまってちゃんの力」です。地球も寂しがり屋なのかもしれません。でっかい赤ちゃんなのかもしれません。

そうなってくると、類は共を呼ぶなので霊とか神とかそういったものが好きな人は寂しがり屋な人が多いのかもしれません。でも集まってくるものは地球と同じように有象無象のものが集まってくるかもしれません。それはそれで賑やかで楽しいかもしれませんが、僕は静かに昼寝したいのでほどほどでいいかなと思います。

にしけい

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西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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