「キラッとプリ☆チャン」のOP曲を口ずさめても意味はないけど

友人、家族、恋人、子供…といった誰かと一緒に暮らしたり、出かけたりすることで程よく「イレギュラー」が入ってきます。おそらく僕が独身で一人暮らしを続けていたら、考え方がめちゃくちゃ偏っていたと思います。今も十分偏っているかもしれませんが、恋人や家族や友人との付き合いがあったことで「自分一人の考えでは到達できないもの」が入り、少しはマシになっていると思います。

特に子供の存在は大きいです。おそらく子供たちがいなかったらもっと僕は他者との分化を進め、攻撃的になっていたと思います。初めて何かを学ぶ人たちに優しくできていなかったと思います。子供たちがいると強制的に「自分は興味がない情報」が入ってきます。

アニメやYoutubeチャンネルも自分が見ないようなものをチョイスしてきますし、プリキュアの名前もキラッとプリ☆チャンのオープニング曲も知らずに死んでいっていたと思います。それを知ったことで何か達成感があったかと言われれば特にないのですが、異物が混じることで自分の世界が広がります。考え方が少しだけですが、柔軟になれます。

恋人や友人に誘われて出かけていった先に思わぬ収穫があったり、おもしろい世界が広がることもあります。もちろん似たような趣味の人たちと付き合うことも悪くないのですが、それでもやっぱり微妙に「異なるもの」が自分の中に入ってきます。

感性は知識で養われます。知っているか知らないかでモノの見方が変わります。全てを知ることは無理ですが、やはり一人だけだとかなり偏った考え方になるなーと常々思います。一人の方が楽ですし、自分の時間を100%自分の好きなようにできてもいいかもしれませんけど、やっぱりそれって「自分」というものに偏ってきて、だんだん視野が狭くなっていくんですね。

 

 

その点、読書はいろんな人との対話ができるので、これはこれで最高だなと思います。コスパが良すぎます。しかし、読書も注意なければいけない点は「イレギュラー」を自然と除外する可能性があるということです。自分が興味がある部分だけピックアップしたり、特定の分野のみ読み漁ったり…これも選り好みせずいろいろ読んでみた方が良いと思います。

定期的にご相談会を地方で開催したり、特定のイベントなどに呼んで頂いたり、オンライン喫茶ポンで占ったりするのも「イレギュラー」が入るので僕にとっては非常に大事なことです。このあたりは本当に意識的にイレギュラーを取り込んでいかないと、カッチカチに固定されて発展や成長が起きなくなります。

これは占い師として、というより人としてちょっと危険だなといつも考えています。同じようなことをしていたほうが楽なんですけど、同じようなことをやっているほうが僕は恐怖を感じてしまうので、何かしら変化をつけながらイレギュラーを取り込むように心がけています。本当にね、人って静かに下り坂に向かっているときって気づかないんですね。だからイレギュラーを取り込んで「ああ、それは知らなかったな」とまた新しい気持ちで何かに取り組むイベントがないと、楽なゆるい下り坂に滑り落ちていくんですね。

「恋愛経験がない人はダメだ」「結婚していないことは問題だ」「私は子供がいなくても察する力があるから気持ちがわかる」といった分別して切り捨てる(差別/特別視)ことが起きてくるとギスギスしちゃいます。それを僕は家族や友人がいることでそれが少しはマシになっている…ということを言いたかったわけで、そうじゃない方法でも緩和(ゆるゆる)するなら、それでいいと思います。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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