だいたい突き詰めていくとシンプルになるはずです。言葉や装飾や詳細なルールは不要になってくるのです。
「縛り」や固定する要素が多くなるものは、純度が下がります。どこかで手を抜いて「簡単なこと」を選ぼうとすると、純度が下がります。純度が下がると、脆く、すぐに崩れ去ってしまいます。長く続きません。
「突き詰める」というと、目的や目標といった特定の方向性に向かっていくようなイメージがありますが、実際は突き詰めていくと「無方向」になっていきます。方向性が無いのです。「どこにも向かわない」「どこにもいかない」ことは、一番「自由」になれるのです。縛りや固定がなくなるのです。
全て「◯か×か」ぐらいのシンプルなものなのです。
カラスが黒く見えたのであれば、それは黒です。偉い研究者が白と言っても黒です。揺るがない事実です。そのままを見てください。そこに一喜一憂するのも「勝手な後付け」です。黒なら黒。白なら白。ただそれだけのことです。言葉や打算は不要になります。
誤魔化すこと、装飾することすら「ありのままの姿」なのです。誤魔化していること、装飾していることを認識できるか。これが最初の一歩だと思います。
この認識を得るには「無方向な自分」になる必要があります。いろんなものが混ざった汚い水で泥だらけの靴を洗ってもまた汚れてしまいます。何も方向性をもたない「ただの水」をかけることで洗い流すことができます。
にしけい