僕の中で、ブログや文章を「いかに素直に書けてるか」ってけっこう重要なんですね。
つい最近、このホームページがトラブって、いろいろサイトの構成とかページを見直していたんですね。
それで、過去の記事を読み漁っていたんですけど、自分で書いた記事を読んで自分で笑ったり「いいこと書いてるな〜」ってなる記事もあれば、そうならない記事もありました。
その差は何かというと「素直に書けてるかどうか」なんです。
素直に書けてる記事は、自分で書いてるくせに何度も何度も読みたくなります。引き込まれるんですね。
なので「素直に書けてる記事」には「価値」があるんです。
素直に書けてる記事って「自分以外の誰にも書けないこと」に限りなく近くなっていくんです。
それって「限りなく真実に近いもの」だから「揺るがないもの」なんですね。リアリティというか。
今は変わってしまっているけれど、「あのときの気持ち」は嘘じゃなかったわけです。
真剣に人目を気にせず吐露しているからこそ、真実だと感じられる。それが真実だと強く感じられれば感じるほど、現在の自分の存在を色濃く感じられる。「ちゃんとあのときも自分だったんだなぁ」と。
でもどこかに「見栄」とか「他者の目を気にする」とか「流行ってるものを追ったな」とか、そういうものが入ると、途端に文章がぎこちなくなるというか「気合入ってんなー」って記事になる。
もちろん書いてる内容が「本当に伝えたいことなんや!」と語気を強めてるときもありますけれど、素直に書けていない記事はなんかこう、緊張してる雰囲気が伝わってくる。なんかに影響されて書いてるなーとか。この時期これマイブームだったなーとか。恥ずかしいけど、消さずにとっておく。それも自分だから。
素直に書けてない記事はどうしても「自分」が薄まってしまう。
自分の純度が下がっちゃうと、途端にもろくなる。「嘘なんじゃないの?」「本当に僕が書いた記事?」という気持ちが出てくるとどうしても揺らいでしまう。
だから、僕の中では「素直に記事を書けているか」ってめちゃくちゃ大事なんです。
で、素直に書いた方が逆に共感を呼んだりします。これが不思議なんですけどね、人目を気にして合わせようとすればするほど、共感が生まれないんですね。線をひいちゃうから、感情移入できなくなるというか。
宇宙空間をふわふわ漂うように「自分」から離れてしまった、素直じゃない記事というのは、誰からも遠いものになってしまう。「どこ向かってんだよー!そっちに行ったって、共感も何もないんだよー!」と叫び出したくなる。
だからなるべく素直に書けてる記事の方が自分自身好きだし、誰かの文章を読むときもぎこちなくても、そういうもののほうが好きです。
記事のサムネイルとか本当は作るのめんどくさいんですよねー。たまに、サムネと記事の内容がマッチしないときもあったりして。
文章書いたはいいけど、そこで力尽きてサムネまでエネルギーがまわらないことよくあります。そういうときってだいたい、サムネと記事の内容がマッチしてない。
というわけで、書きたいこと。
「一行目」の「素直に書けてるか」ってことが書けたので、今日はこれぐらいにしておきます。
にしけい