(今回の記事はくだけた感じで書いてますので、ご了承ください)
強い言葉を使うのは、なんか性に合わないなーと思いました。いつもそれなりに楽しい状態で生きてたら「唐揚げカレー牛丼夜露死苦」みたいな強い気合入ったこと言えないよなぁ。ひよってるやついる?ここです!マイキーくんここにいますよ!
— にしけい (西田 圭一郎) (@nishikei_) August 17, 2022
「◯◯は悪!」とか「△△な人はやめた方がいい!」とか「▲▲はXXである」とか、「強い言葉」を使うときって結構弱ってるときなんだよね。
で、すごく人間っぽいなーと思っちゃう。
こういう言葉って包丁とか握りしめて「殺す!」って言って突っ込んでいくのと同じなんだよね。自分の手で「直接」殺そうとするわけよ。
でもさ、自分の手で直接殺すのってなんかダルいよね。エネルギーがかかりすぎるし、時間もかかるし、そのあとのことを考えるとコスパが悪い。包丁を洗うのめんどくさそうだし。
だから「直接手を下す」って相当な執着がないとできないと思うんだよね。だから、強い言葉を使っちゃうときも「自分が自分が!」になってるときなんだよね。自分に対する執着が強い時。自分が可愛いんだろうね。
魔界の王がさ、いきなり部下を差し置いて出張って「俺が直接村人たちを殺す!」っていう物語ってちょっと萎えない?
魔の「王」なら堂々とソファーにでも座って水晶玉から世界を眺めている感じで、余裕があるほうが良くない?
「俺が俺が!」ってなってるときって、余裕がないんよね。特定の個人攻撃する魔王ってなんか嫌じゃん。ダイの大冒険のハドラーみたいに、小物感というか人間感あるじゃん。(ハドラーは人間ぽくて好きだけど)
天は直接手を下さない
僕の中で「天の話ほど無難説」というものがありまして。
「天気の話」「経済の話」「災害の話」とかって「天の話」なんですよね。
どうしようもないことであり、みんなに共通して働いている力。
「天」って、直接手を下さないんだよね。
「なんか死にたくなる雰囲気」とか「鬱になる天気」って全体に同じように働く。
誰か特定の人を選んで「自殺してよ」と言ったりしないし、包丁を投げつけるわけでもない。
ただ、そういう雰囲気にするだけ。自分で手を下さず、みんな勝手に影響を受けて反応して、行動する。
晴れたら晴れたでハッピーな人もいれば、アンハッピーな人もいる。立場が違うと反応も変わる。でも天自体はみんなに同じように接する。個人に執着がない。
天は執着がないから、みんな許せるし、しょうがないって思える。だから、商談の最初に話題に出しても「そうっすね〜」って流したり、相槌を打ったりできる。
だからさ、なんか「神」とか「超常的な存在」が「直接的」かつ「個人攻撃」をすることってないんだよね。
神も個別に対応を変えるってめんどくさいでしょうよ。それぞれに違った対応をするって「差別」や「特別視」してるってわけだから「執着」してるわけよ。そんな神いるんかなって思うよね。
僕が神だったらめんどくさすぎて、絶対やらない。地球全体に金粉を降らせるか、全員に同じ大きさの岩を投げつける。岩を発注するのも、同じ規格で大量に発注したほうが値下げ交渉できるじゃん。
で、さっきの魔王の話とつながってくるんだけど、魔王って「全員に恐怖心を与える存在」であって欲しくて。
特定の誰かだけを執拗に攻撃したり、村に火をつけるのは、「魔王の恐怖心」に反応しちゃった下っ端がやることだと思うんだよね。
で、それを言葉でやってる状態のときって「個人攻撃」とか「特定の範囲の人たちへの攻撃」って感じになるわけね。
何か大きなものに反応しちゃってる状態のときに、強い言葉が出ちゃう。
もし「神があなたに怒ってます」とか「天があなたを助けたのです」っていう人がいたら、たぶんそれは「人間に近い神っぽい存在」だと思ってください。
何度も言いますけど、もっと外側にいる「天の存在」はめんどくさすぎて、あなたの日頃の行いとか、個人的な天罰とかやらないと思います。あくまでそれを「天罰」とか「ご褒美」と感じているのは、人間側の勝手な妄想なんですよね。
今日のまとめ。
天は直接手を下さない。
執着がないから話題に出せる。
話題に出てくるってことは長期間認識される存在になれる。
今日からみんなもなるべく魔王になろう!
人間だから限界はあるけど、可能な限り魔王になろう!
真っ赤なソファーに座って、ドクロの杖を持った参謀のジジイみたいなやつと、意味のない戦略会議をやろう!
狼獣みたいな部下に「血の気が多いことは悪いことではあるまいが、しばし待っておれ…(ニヤ)」とたしなめよう!
真の魔王ほど無難だよ!
にしけい