「ダメな部分」はあくまで「部分」で全然重要じゃなかったりします。

本当にそれが好きでやっているのかな、やりたくてやっているのかな、なんでやっているのかなということが結構気になります。特になんでやっているのかという動機の部分は結構気になることがあって、単純にそれをやることが好きでやっている場合とそうではない場合があって。例えば「ミニ四駆が好きです」「日本ミニ四駆協会の理事長です」という人がいて、それをキャラ作りとかチヤホヤされたいという動機でやっている場合もあるんですね。ミニ四駆が好きと言っているけれど、実は女子にモテるためにやっているとか。ミニ四駆に対する純度が低くくて、実は「自分の承認欲求を満たすためのツールのひとつ」だったりする場合もあります。

本人は口では「いや!ミニ四駆が好きなんだ!僕がミニ四駆業界を盛り上げていくんだ!」と意気込んでいたとしても、その目的に合致する行動をとっていないと「あれれ?ミニ四駆を盛り上げたかったのでは?」という気持ちになってしまうのです。本当にミニ四駆が好きで、誰も見ていないところでもミニ四駆をなでなでしながら「ウヒヒ、タイヤ舐めちゃおう」と言っているとか、ミニ四駆のことを考えすぎて夜眠れなくなるとか、そういう感じなら純度が高いと思うんですね。チラチラこっちを見ながら、見せるためのマスターベーションになっちゃうと冷めてしまうというか。マスターベーションは自分で夢中になっているから美しいわけで。

で、そういったことをやる背景には「コンプレックス」があるんですね。コンプレックスを埋めるためにミニ四駆という装飾で着飾る、埋める、キャラ付けするという感じです。実際ミニ四駆でそれができるかはさておき「聞こえのいいこと」っていっぱいあって、それをやっている自分に浸っているというか、満足するというか。だからあくまで自分にベクトルが向いていて、ミニ四駆にベクトルが向いているわけじゃないんですね。自分を際立たせるための、自分のコンプレックスを埋めるためのミニ四駆なんです。コンプレックスって誰しも大なり小なりあると思うんですけど、問題はコンプレックスとの向き合い方だと思うんです。自分の「足りない部分」に目を向けるのは良いのですが、問題はその後なんです。

自分の中の足りない部分、至らないと思う部分に目を向けます。嫌だな、恥ずかしいな、切り捨てたいなと思う「部分」があったとします。この「部分」とどう付き合うかなんですね。まず、この「部分」を変えることができるのかです。例えば僕は先日、20年ぶりぐらいにサッカーをしたんですが、全然下手くそで…同じチームの人に「もっとボール見ろよ!」と叱咤を受けて悔しい気持ちになりました。

能力的にも精神的にも「足りない部分」を痛感したわけですが、そこで僕は「サッカーがうまくなりたい」と思ったとします。サッカーの試合で悔しい思いをして「自分は足も遅いし、運動神経も悪いし本当にダメだな」と思ったとします。まず、この「サッカーが下手だと思う部分」が自分の中の何%ぐらいを占めるか、どの程度生活に影響を与えるかを考えます。僕にとって「サッカーが下手」という部分は、上手い人たちとサッカーするとき以外、特に支障はありません。もし国が「毎日シュートを連続で5本決めないと銀行口座のお金を全部没収するぞ」という方針を打ち出したらそれは実生活に影響を与えるでしょう。けれども、そんなことはありません。僕のゆうちょ銀行の口座のお金は今のところサッカーが原因でなくなることはありません。

あなたにも「自分の至らぬ点」や「コンプレックス」があったら、まずそれは「どんなときに困るか」「実際に何か自分の人生に影響を与えるか」を考えてみてください。このとき大事なことは冷静に「因果関係」があるかを見極めることです。例えば「こんな顔だからモテないし、結婚できないんだ」と思ったとしても、果たして本当に「そんな顔」と「結婚できない」は因果関係があると言えるでしょうか。本当にその「部分」だけで全てが決まってしまうのでしょうか。ここでスマートな方なら気づくでしょうけれども、コンプレックスは「部分」が「全部」になっているときに起きてきます。つまり「部分」にとらわれているときです。樹全体を見るのではなく、枝葉の部分にとらわれていてそれが全部だと勘違いしているときに起きます。

次にこの「部分」を自分の力や何かしらの方法で「改善できるか」を考えてみてください。サッカーが下手なら練習するとか、コーチに教わるとか…このときに「費用対効果」を考えてください。僕にとってサッカーがうまくなることで得られるメリットはおそらくサッカーの試合に出た時です。そのときに少しばかり同じチームの方の足を引っ張らない…少しだけパスしてもらえる回数が増える…という感じです。つまり、サッカーがうまくなることで得られる恩恵は極めて限定的です。となると、これを克服する時間・お金・エネルギーがもったいないわけです。あなたのコンプレックスや至らぬ点はどうですか?それを克服することで得られる恩恵と、それにかけるエネルギーや時間、どっちが重いですか?天秤にかけてみるのです。

この時点でコンプレックスだと感じている「部分」の重要度や優先度が下がります。ここで「その部分」を克服することで自分なりに「自信がつきそうだ」というのであれば、チャレンジしてみても良いでしょう。それは「恩恵」としてはかなり大きいはずです。チャレンジしているあいだ、それは「コンプレックス」ではなく「目標」に変わります。太っていることで大きな損失を被っていると判断して、それを克服することで自信や恩恵が得られるのであれば努力してみる価値は十分にあります。

ここで「コンプレックス」だと感じる部分を埋めるために別のことをしようとするケースがあります。それが冒頭に記載した「ミニ四駆業界を盛り上げるんだ!」「俺は理事長だ!」という行動です。コンプレックスだと感じる部分が「穴」だったとしたら、この場合「穴を埋める」という作業ではなく、別のところに目がいくように穴の横に何かキラキラした小石を並べるようなものです。穴そのものを埋めるわけではないので、穴はずっと残ったままです。ちなみに「穴」だと思っている部分も、何度も言いますが「部分」なので「あなた全て」を表すものではありません。ここで「部分」にとらわれて「欠点があるから俺はだめなんだ」と言って「何もしない」でいたら、穴はいつまでたっても塞がりません。

むしろ「自分はこの欠点があるから変わらなくていい」という具合に、自分を甘やかすためにコンプレックスを捏造する人もいます。そういう人にとっては「克服」してしまうと「言い訳」がなくなってしまうので、大事にコンプレックスという名の穴のまわりに「立ち入り禁止のテープ」を張り巡らします。穴を守る主となります。「コンプレックス」という幻想を作るととても楽です。穴のまわりに立ち入り禁止コーンを置いて、さらにキラキラ小石を並べる人もいます。「あなたの一部」を大事に保護して飾り付けしています。飾り付けして「目立つ」ようにしておくことで「これが自分の全てだ!」と思えるように準備しているわけです。

ここで一旦、話の流れを変えますが。

親や周りのひとから「あなたのダメな部分」を指摘されたり、突きつけられる環境にいた場合があります。「あなたは◯◯だからダメなんだ」「本当にダメだな」といった具合に「部分」を作り出された可能性があります。それはその人物にとって都合の良い「部分」なんですね。あなたの「ダメなところ」を作り出すことで、その人は優越感に浸れるとか、自分の思い通りにあなたを動かすことができるとか、そういう意図があったのだと思います。口では「あなたを思って」とか「優しさで」とか言うかもしれませんが、ダメな部分を作り出そうとしてくる人は自分にとって都合のいい部分を作り出すのです。人はどこまでも全体を見ることはできないのに、それがあなたの全てだと言わんばかりにダメな部分を作ろうとしてくるのです。

親、先生、上司、兄弟、友人、クラスメイト…いろんな人たちが「あなたのダメな部分」を作ろうとした過去はあるかもしれません。しかし何度も何度も言いますが、あくまでそれは「部分」です。その人たちがまだ近くにいるのであれば、極力離れたほうが良いでしょうし、その人たちと一緒になって「自分のだめな部分」をさらに強固にしていくのはどうなのでしょうか。本当にその部分があなたの全部なのでしょうか。僕は違うと思います。全然あなたを見えていませんし、全部を捉えることはできませんが、どこまで行っても部分なのですから、部分にとらわれて特に恩恵やメリットがないのであればやめてもいいと思います。

しかし、それでもその部分を手放さないというのであれば「その部分」はあなたが必要としていることなのでしょう。「あなたが見たい部分」なのでしょう。その部分を見るも見ないも自由なんですが、あなたは見たいのでしょう。自分が好きなことや好きなものは「どんな部分」が好きなのでしょうか。自分が「すごく好きな部分」を増やしていったほうがお得じゃないですか?サッカーも「楽しめる感じ」が好きなら、そういう人たちとプレイをすればいいし「勝つこと」が好きと言うならそれを追い求めてその部分を増やすようにしてもいいと思います。

「部分」と「全体」を行ったり来たりして、なるべく「好きな部分」に目を向けてあげてください。それは自分の好きな部分でもいいですし、誰かの好きな部分でもいいです。「ダメな部分」ばかり気になるようになっていたら、ちょっと危険です。「誰かのダメな部分」ばかりに目がいくときって、だいたい「自分のダメな部分」に目がいっているときなんです。それで、そういうときって謙虚さを失っているときだったりします。新しいことに挑戦しているときって、誰かのちょっとした優しさでも「ありがたや」となって「いい部分」がいっぱいできてきます。マンネリし始めると「ダメな部分」ばかりに目がいくんですね。だから、ダメな部分ばかりに目がいくようになったのであれば本当は「次の新しいステップ」に進みどきなんですね。

あなたがとらわれている「部分」は、あなたにとって本当にメリットや恩恵はありますか?そこにとらわれていて本当に現状は変わりますか?せっかくなら「良い部分」にとらわれませんか?

僕が「自分のサッカーの下手さ」について永遠とブログを書き続けてたらどう思います?「サッカーじゃなくて占いの記事が読みたいんだけど」っていう風になりませんか?

ということで、気づいたら4000文字書いていたのでこれぐらいにしておきます。文章書くのは本当好きなんでしょうね。でもたまにはサッカーもやります。下手でも体動かすのは楽しいですからね。次は左足でボールを蹴れるように…。

にしけい

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西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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