この10日間ぐらいマジで廃人でした。
とある本から入り、維摩教→老子→鈴木大拙→禅という順で読書の世界に浸っていました。
最初の頃は「うんうん、そうそう。本当にそうそう、言葉って意味ないよね」と書かれていることに納得&肯定感を得ていたのですが、読んでいるうちに自分が今までやっていたこと「全部意味なかったんじゃね?」という思考に至り、読めば読むほど自己破壊が起こり、苦しくて苦しくて仕方ないのについつい読んで寝落ちして、また起きたらこれらの書籍を読み漁り深い世界に浸り、自分を失う…という日々が続きました。
その間にブログ記事を4つ、新しい企画を2つぐらい書いたんですが、全部自分の手で消しました。何も生み出せない自分。何がしたいのか。自分がやっていることは何なのか?と自問自答と自己破壊が続き、本当に最低限の仕事をして、それ以外は完全に廃人になっていました。どれぐらい廃人になっていたかというと、本を読んで寝てうなされて漫画を読んで動画を見て1日が終わる…みたいな日々でした。
魔女の宅急便のキキが魔力を失い空を飛べなくなったときのように「文章も書けない、占いについても何も思い浮かばない、そもそも好奇心や探究心が生まれない自分は本当にゴミだ」ぐらいに考えましたし、でもそれでもいいやとも思いました。ワンピースのコミックスを全巻読み直し、読んでいなかった漫画の最新刊を一気に読み漁りました。
そして、何より「今までの自分の行為や意図を否定する書物」を読み耽りました。ブログもTwitterも全部消して、占いも講座も全部やめようかなと思いました。「自分のすべてに意味がないんじゃないか」と思うぐらい「無」を味わいました。「お前死ねよ。生きてる意味ねぇし」とナイフを突きつけられ続けているのに、気づいたらまたこの本の世界に没入しているのです。苦しいなら読むのをやめればいいのに、心のどこかに「そうだそうだ」と彼らの著書に賛同する自分もいて、分離と融合を繰り返しました。
ほとんど外に出なかったので筋力が低下して、Amazonから届いた仕事用のゲーミングチェアを組み立てるだけで筋肉痛になり、二の腕やふくらはぎなど全身が震えました。肉体もが「自分生きてる意味ないやん」と言ってきているような気がしました。もしかしたら人間と空気のあいだみたいな存在になっていたかもしれません。
で、読んでいたワンピースのマリンフォード編でエースが死んだところで泣きました。ベタなところで泣きました。本誌で読んでいた時は全く泣かなかったのに、なぜか兄を亡くして自分の弱さを悔しがるルフィのところで泣きました。なぜなのか自分でもよくわかりませんでしたが、僕は普通だったのだと安心しました。共感できる人間性が残っていて退廃的とは逆の方向性が自分にも残っていたのだと安心しました。
それからも老子や鈴木大拙を読みあさりましたが、途中から怒りがこみ上げてきました。言葉を否定しておきながら、自分はなぜこんなにも彼らの言葉に縛られているのか。説教されているような気がして反抗心が芽生えてきました。
学生時代の鬼教官が夢に出てきて「君はこんな企画で占い師としてテレビに出たら売れると思うよ〜」とクソみたいなキャラ設定を提案してテレビに出ろと言ってきて「てめぇ僕(が今までやってきたこと)をなんにも知らないくせして、今さら何言ってやがるんだ!」と怒りがフツフツと湧いてきました。(先生ごめん)
あれだけ禅や老子の世界に没入していたのに途中から「数百年〜千年前のおっさんたちが僕を縛るな!ごちゃごちゃうるせぇ!」という気持ちになりました。彼らの主張や意見は素晴らしいものですし、時空間を超えて僕の心に刺さりました。これでもかというほど刺さりました。
僕がこんなこと言っていることはすごく生意気だとわかっています。「寝言は寝て言え」だと思います。でも。だけど。「ごちゃごちゃうるせぇ」という気持ちになりました。
そしてこの「ごちゃごちゃうるせぇな」という言葉も「無心」や「禅」というものへの答えの1つだと思い至ったのです。これは僕なりの禅の解釈で彼らへの答えだし、それが正しいのではないかと今は考えています。
10日以上も廃人のような状態で、生み出すことすべてをやめて、表現することすべてをやめて、自分がやってきたことをすべて消そうとしていたぐらい、自分をぶっ壊しました。いろいろな考えが浮かんでは消えて、浮かんでは消し、肉体も「衰」の方向へ向かわせようとしていました。何か食べなきゃと玄米を炊いていたのですが、ボーッとしすぎてフライパンの玄米が燃えました。(これはこれでおこげができていい感じに炊けてよかったです)
というわけで、ひょんなことから自分をぶっ壊して(勝手に)廃人になりましたが、ようやく生気が戻ってきました。
「ごちゃごちゃうるせぇな」
これが僕なりの禅だし、僕なりのジンテーゼだし、今の自分なりに考え出した「無我」への答えです。
「”分離”しようとごちゃごちゃ言っているのがすでに”混沌”じゃん、バーカ!」と小学3年生レベルの理論で悪態をついてお尻ぺんぺんして逃げ去っていくような気持ちで、廃人タイムを卒業しました。
廃人タイムは本当にきついのですが、こうやって自分を破壊したり、見直したりする時間は終わってみると大事だなと思います。本当にブログ全部消そうかなと思いましたし、この記事に至るまで「下書き」で消した記事が4つあって。でもそのときの自分も本気でそう思っているし、それはそれで嘘じゃないし…。
まぁいずれにせよまだまだ反抗期は続きそうです。今回は時空間を超えてしっぽり絞られましたが、時空間を超えた相手に牙をむいた、新しいタイプの反抗期って感じでした。
マジでむかつくからいっぱいブログ書いてやるわ。いっぱい自己主張してやるわ。時空間超えてレジってやるぜ。
偉人と呼ばれる人たちの言葉に触れてそれに翻弄される自分がいるのも確かだし、考えたらいろんな矛盾があるけれど、それでも僕は存在している。
「わたしは悪魔」
「なるほど。本の絵にある悪魔も、そんなかっこうをしていたようだ。しかし、本当にいるとは思わなかった」
「信じたくない人は、信じないでいればいい。だが、わたしは、ちゃんとここにいる」
(#星新一 /悪魔)この悪魔のセリフがすごく好き。ちゃんとここにいる。
— にしけい/Nishikei (@nishikei_) August 20, 2020
にしけい