⌒と↑

ようやく自分の性質の根幹みたいなものがわかってきたかもしれない。たぶん僕は反抗したいんだ。生きている実感や充足感を得られているとき、何かに反抗しているときなんだよな。「なんでそれをしなきゃいけないの?」「なんでそういう考えなの?」「本当にそうなのか?」と、テーゼに対してアンチテーゼをぶつけているときが一番生きている実感が得られるのだと思う。僕の原動力は好奇心もあるけれど、もしかすると「反抗」のほうが強いのかもしれない。甲の作用。↑があるから外から押さえつけるものがあるのか、外から押さえつけるものがあるから↑があるのか。どちらが先なのかはわからなかったけれど、今の自分の心境を鑑みると上(外)から押さえつけるものがあるから、↑外に出たくなるのかもしれない。赤ちゃんも最初は内側に覆うものがあって、そこで肉体を形成して、外に出てくる。卵も同じ。やっぱり「外から覆うもの」が先にあるのかもしれない。自分を特定の範囲内に押さえ込もうとする枠みたいなものがあって、はじめて自分は生きている実感を得られるのかもしれない。占いが生業になるまで続いてきたのも、「怒り」みたいなものがあったからなのかもしれない。多くの人たちはそういうけれど、本当にそうなのか。年長者や権威ある人間が言う言葉が正しいのか。「なんかそれで正しい気がする」という空気感に覆われた状態に、納得がいかなかった。反抗してきた結果が今なのだと思う。幼少期に高圧的な態度をとってきた父親が弱ってきた姿を見てむかついたのは、怒りというよりも悲しみみたいなものがあったのかもしれない。自分を覆い隠すように、上から圧力をかけてきた存在が、そうではない存在になってしまったことへの寂しさだったのかもしれない。アンチテーゼはテーゼがないと生まれない。テーゼがないと、ジンテーゼも生まれない。ということはやっぱり僕は新たな「テーゼ」に挑む時期が来ているのかもしれない。師匠や先生が必要というのは、テーゼになるからかもしれない。縛られるから生まれてくるものがあるのかもしれない。まずは、自分自身の中にある「予定調和」みたいなものと戦うことにします。僕はまだまだ反抗期っぽいです。

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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