結局合わせようとしても無理だったので0.1%に希望をかけて生きていきます。

4年前のこの記事にも書いていますように、1000人に1人、0.1%でも応援してくれる人がいれば、それでいいんですよね。

1000人に1人はあなたの味方だとしたら73万人を動かせるかもしれない

 

そんな僕が最近、改めて気づいたこと。

人に合わせていないのではなく、やっぱりどうしても合わせることが無理だったということです。

「やらない」のではなく、「できない」だったのです。やっぱり。

「普通」をしようとすると、すごく頑張らないといけない。

で、ずっと頑張ってはいられないので、すぐにボロが出てしまう。

だから、どこへいっても浮いてきたし、なんかズレを感じてやってきました。

それでもときどき「大衆(みんな)や流行に合わせる必要があるんじゃないか」という波がやってくるのですが、気付きました。それは焦っているときです。

焦っているとき。心に余裕がないとき。そんなときほど「みんなと一緒のほうがいいのかなー」「みんながわかりやすいほうがいいのかなー」ということをしてみようと試みるのです。

で、少しだけ頑張ろうと試みるのですが、全く長く続かず、わかりやすく体調を崩します。

大衆性を求められたり、特定の誰かや何かに歩調を合わせなければならない状況になると、頭ではなく体が先にストップをかけてきます。もう、だめなんですね。「みんながやってるからやれ」って言われると、本当にもうだめなんですね。

「これ、僕がやる必要あるの?」「これどっかでやってる人いるでしょ」というような気持ちが数%でもあると、それがクラックになって、ガラガラと瓦解して体調を崩します。そして、気付きます。無理してたな、と。やりたくないことやろうとしていたな、と。

なので、僕の中で「これは僕じゃなくてもできると感じる仕事」は値段を安くしていますし、自分しか書けないであろう、自分しか書かないであろうエッセンスが含まれている本などは高くしています。

それは自分の中でも価値があると感じているからです。新規性や独自性が高いと感じられるものには高い価値を感じるので、自分以外の人を見るときもそうです。

「ファンが1000万人いる」とか「有名なあの人が認めた!」とか、そういうものは本当にどうでもよくて、知名度とか人気とか社会性とかそういうものがなくても、独自路線をやっちゃってるな!という人に興味関心が湧くのです。誰も見てないけれど「勝手にやってる人」が好きです。

自然体に暮らしている。そこに美しさを感じるのです。あと「頑張って合わせようとしてるけど、無理してるな」ということが伝わってくると、急に親近感が湧いたりします。

逆に「俺レアキャラだぜ!」と気合が入っている人に吐き気がします。吐き気は言いすぎですが、なんか途端に興味がなくなります。「あーそうなんだー」ってなります。

会社員時代に同僚と同行営業したのですが、商談相手のおじさんの話がつまらない自慢&中身がなさすぎてリアクションを「無」にしていたら、商談後同席した同僚から

「お前ちょっとはリアクションしろよ!あの対応は失礼だろ!」と1時間ぐらい居酒屋でダメ出しされたこともありました。その話も無リアクションで聞いてました。それぐらいダメでした。でもちゃんと自分が興味がある話だったらすごい食い気味で質問しまくります。そんな感じです。

というわけで

僕は0.1%の人に助けられて、支えられながら、なんとかやっていく方向でやってきました。そしてこれからもそうだと思います。というか、そうせざるをえないというか…。

「30%ぐらいの(多くの?)人たちに認められる路線」はもう無理そうなので、僕は僕でやらせてもらうことにします。

ほぼ「会話を終わらせるためのスタンプ」で構成されている「礼儀正しいトットちゃんスタンプ」は、そんなコミュ力の低い僕の生き写しとも言えます。

どうでもいい話をふられると、「絶対何も考えてないだろ」とツッコミたくなるようなトットちゃんのような「無」の表情になります。

 

それでは

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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