「熱意」「一生懸命」「努力」
こういったがんばってます・がんばりますアピールを見て、心が揺れ動く人も確かにいるかもしれません。
一定の場面においては有効的な自己アピールかもしれません。
しかし、正直がんばってます・がんばりますアピールは無意味です。
易にはこのような言葉があります。
震為雷 声あって形なし
「がんばります」という言葉とは裏腹に、行動が伴っていないのです。
「口だけ」というわけです。
僕も雷卦の要素である三碧木星をもっており、口だけになりやすいので耳が痛いのですが…。
言い訳は不要
「がんばりますアピール」をする人は
がんばれていないことへの言い訳の辞をわざわざ述べる傾向があります。
「環境が整わないとできない」ってのは、カラオケがないから歌えません、机がないから勉強できませんって言っているのと同じ。言い訳してる時点でそこまで熱意がないんだろうな。
— にしけい (にしけいポン) (@nishikei_) 2017年10月23日
「野球がうまくなりたいです!」と、ベンチで叫び続けてボールに触ろうとすらしない人がメジャーリーグにいけるでしょうか。
本当に野球がうまくなりたかったら、勝手にバットを素振りするし、黙ってキャッチボールを始めるはずです。
「がんばりますアピール」をする人たちは、ベンチに座り「うまくなりたい!」と叫び続け、チャンスをもらうのを待っているだけなのです。
雛鳥が親鳥にエサをせがむように、ピーピー言いながらただ口をあけて待っているのです。
「コーチに教えてもらえないから、うまくなれない!」
「監督がチャンスをくれないから、試合に出れない!」
といって環境のせいにして言い訳を作り出す思考は早めに捨てた方がいいでしょう。生産性が低すぎます。
「師匠がいないから、教室がないから、学べません」というのも同じか。
— にしけい (にしけいポン) (@nishikei_) 2017年10月23日
本当に好きなら、本当に興味があるなら「勝手に」行動するはずです。
そこに「一生懸命」は必要ありません。クールに淡々と調べたり、行動するだけです。
本当に熱心な人ほど、実は冷たく見えるし
「一見」熱心に見える人ほど、実は熱心ではないのです。
近所のクラブチームにも属さずに、雨の日だけ外に出てドリブルの練習をして
「濡れながらもドリブルしてる僕はこんなにサッカーを愛しているんだ」と自己満足に浸っていた黒歴史をもつ僕からの愛のメッセージでした。
案の定、そんなことをしていたので小2のころ友達はいませんでした。
にしけい