「占うこと自体が呪」というお話です。
占いは未来予測や現状確認、そして具体的な対策提示にも用いられます。それ以外に占うという行為自体が未来を確定させる刷り込み作用があります。ひとつずつ自分の過去・現状・未来を確認し吟味する作業は「それらを確定させようとする呪術」であると言えます。これは決して占いだけではなく、スケジュール帳に予定を入れたり、過去のできごとを再度見つめ直したりすることでも「確定させる呪術」として機能すると考えています。
1時間後は何をするか、明日はどうなるか、来週の自分はどうなっているか…「知りたい」という好奇心に対して何かしらの答えを提示する。予想する。計画を立てる。この確認作業がそれらを「より確実」なものにする。呪術というとちょっとネガティブに聞こえる方は「約束」と言い換えてもよいでしょうね。
未来の自分の状態を俯瞰して考えることは、現在を俯瞰することにもつながります。未来の自分と現在の自分は同一人物ではあるものの、俯瞰して予想したり考えたりしているということはその瞬間は「別人」ということになります。「今の自分」と「未来の自分」を「分けて」考えることができるから、混沌が少し減るわけです。「分」と「混」は対義語です。占いにおいて「具体的な対策提示」や「未来予測」という点をその成果効用に含めるかというのは、占い師のあいだでも賛否ありますが、実はどのような占いであっても「分化」の作用があり「呪」であり「未来への約束」になりうるのです。
誰かに悩みを打ち明けるだけでも「悩み」と「自分」を分離することができます。生物は「混ざっている状態」では生存しにくく「分化」することを強く望みます。※1「分化」は「確定」です。複数の選択肢が絡まり混ざり合い「分からない」状態から、ひとつの候補を選出し、他の候補を捨て去る行為が「確定」です。比較的日本人が占いに対して求める「あなたは◯◯な人です」という「性格診断」「鑑定」という行為は自己を確定しているわけですから、良くも悪くも「呪」を使って生きやすくしようとする工夫のひとつと言えるでしょう。
何度も言いますが、占い以外にも「確定させようとする」手段(分化)はたくさんあります。しかし、その中でも占いは、過去・現在・未来・自己といった幅広い要素を比較的簡単に確定できます。(それが合っている合っていない、善悪はここでは議論しません)
人は自分にとって都合の良い意見を採用します。そこに論理性や合理性というものは突き詰めていくとあるようでありません。自分の現状やもやもやと「混沌とした分からない状態」を「より分ける」作業において、論理性・合理性はあまり関係なかったりします。そこには「好き」か「嫌い」といった本能的な要素が強く影響を与えます。自分にとって都合の良い意見、それがたまたま占いだったのかもしれません。
古代中国でも御神託を受ける際に占いをしていたわけですが、本人にとって都合の良い結果が出るまで何度も占う…という使われ方もしていたそうです。現代でも中国や関西圏※2では「自分の納得いく占断結果が出るまで占い師を変えまくる」という風潮があります。それが占いの使い方として正しいかどうかはここでは議論しませんが、占いに「未来予測」や「現状の客観的分析」という機能を期待していたのであれば、このような使い方はしないと思います。あくまで「占い=迷いを捨て去るためのツール」として分化を促すために行っていたと考えられます。何度も言いますが、占うこと自体に「呪(確定/分化/)」という機能があるのです。
占いによって特性や特徴が異なりますが、おそらく自分自身が好む「呪いのかけかた」によって選択する占いが異なるのだと思います。サーティーワンアイスクリームのように、アイスといってもいろいろな種類があるように「自分への呪いのかけかた」を自然と好きなものを選んでいるようです。例えば、手相や人相といった肉体のシンボルから何かを占うものは、肉体的物質的なものに特異的に興味関心があるのかもしれません。占星術を好む人は、天体やその歴史的背景・知的蓄積といった要素が好きなのかもしれません。占星術と一言で言えど、これにもさまざまな種類や要素がありますから、自分への呪いのかけかたは十人十色と言えるでしょうね。占い自体よりも「誰に占ってもらったか」とか「どこで占ってもらったか」のほうで「呪い」が強く機能する人もいると思います。
そういった意味では「占い」というお仕事はどこまでいってもブルーオーシャンと言えます。過去の記事でも何度か書いています。
参照記事:【毎週土日を給料日に】副業で占い師をオススメする5つの理由
話は少しそれてしまいますが、論理的・合理的思考を放棄・否定することはしませんが、どこまでいっても完全な論理的思考は無理なのではないかと考えています。
今までやってきた無駄なことに気づかせてそれを除外することが評価されがちな風潮があるけれど、テレビが好きな人はテレビ見ればいいし、紙の本好きな人は紙の本読めばいいじゃん。なんでもかんでも無駄って言われちゃうと心がすり減っちゃうよね。必要な無駄は無駄じゃない。
— にしけい (@nishikei_) January 21, 2021
自分が行ってきた行為を無駄ではないと「確定」(肯定)することで、少しでも余裕が生まれて生きやすくなるのであれば、それに越したことはないです。
今自分がやっていることが「無駄なのではないか」とか「意味がないのではないか」と考えて苦しくなるのであれば「そんなことないよ」と言ってくれそうな人を探し求めることは決して悪いことではないと思います。現状の自分の行為を少しでも肯定された結果、ちょっとでもまわりに優しくできる余裕ができるのであれば、それに越したことはないと思います。
にしけい
※1…ニッチ分化です。ニッチは生態的地位を指します。
※2…諸説・個人差あります。これについてはまた別記事で考察したいと思います。