「自分と違う方向性の行動や言動」って余裕がないとき気になっちゃうよね

違和感を感じる出来事というのは本当に得るものが多くて。

モヤモヤとした違和感が大きい出来事に直面したときに、それを言語化して誰かに話したり、こうしてブログなどに書いたりできるようになるまで、ああでもないこうでもないとモヤモヤするのですが

やっぱりアウトプットすることで離れてその出来事を観察することができるようになります。

下の記事を書いたときも「言語化しようとしている段階」だったので、自分の中ではまだ「言語化できた!」という実感が得られていませんでした。

拡散方向と収束方向による対立も対話も起こらない

 

いろんな人に会ったり、いろんなご相談を受けたり、いろんな経験をするなかで「なんでそうなるんだろう?」と思うことはいっぱいあります。

こういった違和感を感じたときに諦めずに言語化することで、非常に有益な経験になります。

しかし、このモヤモヤしたときに「アウトプットできる相手」がいないとずっと一人でモヤモヤすることになります。

家族や友達や身近な人に話を聞いてもらえない場面もあるでしょうし、話したとしてもモヤモヤがスッキリしないこともあると思います。

アウトプットしなくてもなんとなく読んだ本やブログの記事で「言語化してくれる」パターンもあります。

「そうそう、自分がモヤモヤしていたのはこういうことなんだよ!」と思わず叫び出して走り出したくなるような

そんな瞬間に居合わせたときにスッキリして次のステップに進むことができます。

正直、このブログも自分の頭の中を整理するために書いている記事がたくさんあります。

お見苦しいところを見せてしまうときもあると思いますが、もしかしたら世界中のどこかに自分と同じようなテーマでモヤモヤを抱えている人がいたら、何か言語化のためのヒントになるかもしれない…

なんて恩着せがましいようなことを考えているわけではないのですが、やっぱり自分自身誰かの思いがけないアウトプットで言語化が捗ることもよくあるので書いてもいいのかなと思っています。

このブログは毎回、下書きとか構成などを考えたりせず、いきなり「記事を新規作成」して入力しています。余計なことを考えず、思ったことや普段考えていることをただアウトプットしているだけです。

キューピーマヨネーズか何かのCMで福山雅治が「余計なものはいらない」と言っていましたが、このブログの記事はマヨネーズやドレッシングなどをかけるどころか本当にブロッコリーのまんまを出しています。

でも、こうやって心の整理の試行錯誤(押したり引いたりする過程)を自分なりに楽しむというか味わうことが大事なんじゃないかなと思うのです。

最近、気づけたことは、こうやって「自分なりに吟味して楽しむ」ということを避ける人、理解できない人もいるんだな…ということです。

例えば、ゲームを買ったとしても

「攻略本や攻略サイトを見ながらただ全クリを目指してプレイするタイプ」と

「クリアするしない関係なく自分なりにそのゲーム内でルールを作ったり自分で遊び方を生み出すタイプ」

の2種類の方向性があるようで。(はっきり二分するのではなく度合いがあって)

僕はどちらかというと後者の「勝手に1つのゲームをやり込むタイプ」だったのだな、ということに気づいたのです。

マリオとかでも目を瞑ってクリアできるかとか、○秒以内にクリアできるか…とか、全クリしたあとも飽きるまで自分なりにあれやこれやと遊んだりするのですが…

ただクリアすることや勝つことを目的とする人にとっては「そんな遊び方は邪道だし、何の意味もない」という風に映ることもあるのだな…ということがわかったのです。

で、勝手に楽しんでいる要素の強い人間としては「勝手に楽しんでいるんだからそれをとやかく言われてもな…」という出来事があって非常にモヤモヤしていましたが

こうして無事言語化できたので、非常に今はスッキリしています。(おそらくこういうブログ記事もお前の自己満足だろうと映るかもしれません)

「他人がどのようにそれと向き合うか?」に正解はありません。

例えば「絵を描く」という行為ひとつとっても「実物を忠実に再現して描くこと」に価値を見出している人もいれば、「自分の好きなような色を塗ることが楽しい」という人もいます。

で、普段はそういったことも全く気にせず自分の好きなようにゲームをしたり絵を描くのですが、たまたま自分が向き合っているスタイルに対して「それは正しくない」という横槍を入れてきた人物がいたことで憤りを感じたのだと思います。

違うからこそ目につく、もしくは鼻についた…のかもしれません。もしかしたらその人自身の心に余裕がなくて「楽しそうにやっているヤツむかつく」という風に見えたのかもしれません。

とは言ってもですね。

やっぱりその人が勝手に楽しそうにやっているのであれば、その世界に水をさすようなことは全くのお門違いであり、僕も気をつけなければならないなと反省した次第です。

誰かの行動や言動に怒りやモヤモヤを感じた時、それは「ただ違うだけ」だったりします。その「違い」は自分には無い要素だったりもするので「嫉妬」や「羨望」に感じることもあるかもしれません。

「自分の考えと違う考えや文化」に出会った時にモヤモヤすることもあると思いますが、その「違い」は何なのかを1つずつ諦めず吟味して、言語化して受け入れられることができれば、3ピコメートルぐらい成長できるのかなと思います。

というわけで、そんな盛り上がりもまとまりもせず、書きたいことを書ききったので勝手にこの記事を終わろうと思います。

——-余談——–

なんというか割と普段から「意味のある存在」や「結果を残す存在」であろうとしなくてもいいと思ってて、なんか割と「特別な人」であろうとがんばったり、特別な人ではない自分が不正解だと思うから辛くなるんじゃないかなーと。

あと「特別」を演出する人ほど大したことなかったり、すごいことを考えている人ほど普通っぽく見えたりする…ような気がしています。

「俺ドSだぜ!」と豪語するオラオラ系の男ほど甘えん坊ちゃんで何もしなくて、全然そう見えない人に限ってすごいプレイをするという話をOLさんが集まる女子会か何かで聞いて「なんかわかるなー」と。

何が言いたいかと言うと、ブログ記事もそうなんですけど気合入れて「ためになりそうなこと」「いいこと」を書かなくてもいいし、もっと素直で等身大でいいのかなと考えています。

というわけで、そんな盛り上がりもまとまりもせず、書きたいことを書ききったので勝手にこの記事を終わろうと思います。(2回目)

↑この終わらせ方使えるなぁ…。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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