「自分ができる最大の貢献は何なのか?」をもう一度考え直してみてもいいのでは?

僕はお土産を渡すのが嫌いです。あとお世話になった人に感謝の気持ちとして何かを贈るのもなんか違うと考えています。

じゃあ僕はお土産を買わないかと言えばそうではなく「これあの人が前好きだって言ってたな」というものがあれば誕生日とかバレンタインとか関係なくプレゼントするし

逆に誕生日とかバレンタインとかそういった「当然のようにプレゼントをする日」みたいな日には何もしなかったりします。

実は僕も10代ぐらいまでは「2/14=バレンタイン=チョコレート!」という認識だったのですが「そうじゃなくてもいいんだな」と思う出来事がありました。

当時遠距離で付き合っていた彼女がゴールデンウィークごろに「これバレンタインだから酢豚作ったよ」と言ってプレゼントしてくれたのです。僕はそのとき衝撃を覚えました。

バレンタインとは何なのか?

2月14日にチョコレートをプレゼントすることがバレンタインなのではないのか?

酢豚とは何なのか?

当時の僕は、彼女の行動と言動が全く理解できなかったのです。

しかし、このとき僕は気づかされました。自分は今まで「誰かが作り出した固定観念を当然のように自分の固定観念にしていたのだな」ということを。

それから「こういうのはマイペースでもいいんだな」というスタンスになりました。実際酢豚は美味しかったし、その子らしくてなんか嬉しかった。

なので「プレゼントしたいときにプレゼントすればいい」と思っているので、プレゼントすることを否定するわけではないのですが、冒頭に述べたように僕は「お世話になった人の恩返しにお菓子などを贈る」ということを躊躇してしまいます。ケチだから、あげたくないから、感謝していないから…とかではありません。

僕は会社を辞めたときも会社に挨拶まわりとか贈り物は一切しませんでした。辞めたあと元同僚にそれを話すと「え?普通何かするんじゃないの?」とちょっと説教されました。でも、僕はしませんでした。反抗期なのでしょうか。へそ曲がりなのでしょうか。いいえ、にしけいです。これには僕なりに考えがあります。

自分にとっての最大の貢献方法は何か?

感謝の気持ちを伝えるときに何か贈り物をするのは簡単です。もちろんデパートに行って、列に並んだり、あれこれ迷ったり、渡すタイミングを伺ったり…とかいろいろ苦労もありますが、なんというかそれは「自分じゃなくても」できることなのです。

僕は会社を辞めるときにお世話になった社長に「僕はすごいことになりますので、そのときにこの会社の役に立てそうなことがあったら言ってください」と言いました。僕はこの会社でのびのびやらせてもらったのでお世話になったのは間違いないですし、心の底から感謝もしています。しかし、その感謝を「社長にお菓子とかを渡す」ということで示すのはなんか違うなと思ったのです。

自分がもっとも得意とすることで、もっともこの社長が「にしけいと出会うきっかけがあってよかった」と価値を感じてもらえる方法で恩返しをする。やる以上は最大火力で貢献したかったのです。

どうしても「お返しした」「精算した」と思いたいのです。それがプレゼントで済むならそれは楽です。簡単です。さらっと贈り物をすることの方が省エネでスマートなのかもしれません。

でも、大工さんなら犬を飼い始めたときに犬小屋を作るとか、養鶏場を営んでいるならお菓子よりも「自分の養鶏場でとれた最高の卵」とか、自分ができる最大の方法でお返ししたいのです。お返しの仕方も「適材適所」でいいのではないかと思うのです。

なので、僕は簡単にお菓子をプレゼントしたりしません。もちろん「その人が前から欲しがってたものをプレゼントする」とか「その人との思い出のお店で御馳走する」とかならしますが、「簡単なもの」で終わらせるぐらいなら、そのときは何も贈り物をしません。相手にとって一番嬉しいことでお返ししたいのです。

何が言いたいかと言うと「自分しかできない何か」を模索しようとせず、とりあえずみんながやっているようなことと同じ方法でお返し・貢献しようとする…ということが手抜きのように感じてしまうのです。

「貢献の仕方」は人それぞれだし、歌を作るのが得意ならみんなが喜ぶような歌を作ればいいし、絵を描くのが好きなら絵を描いて貢献すればいいし、いろいろ考えた結果特に思いつかなかったら無理にやらなくてもいい。思いついたときでいいと思うのです。

なんか一部のお土産とか贈り物にって「申し訳なさ」みたいなものがベースにあるような気がするんですよね。あとは「儀式」というか「形式」というか。そういうものになってしまっている部分もあると思うのです。

贈り物やお土産を否定しているのではありません。これらは「気持ち」を伝える手段のひとつだと思います。

でも、お世話になった相手にお返ししたいとか貢献したいと思うのであれば「自分ができることは何なのか?」「自分がその相手にもっとも貢献できることは何なのか?」ともう一度ゼロから考え直してみてもいいのではないか?と言いたいのです。

むしろ、贈り物やお土産をしなくても、僕はその人の価値がまったく下がらないと考えています。なので何かあるごとに「贈り物しなきゃ」と気にして生きている人は別にしなくてもいいです。少なくとも僕はそれであなたを「非常識で恩知らずな人だ!」とは全く思いません。

そして「こういうときはこういうやりかたでお返しをするもんだ」という固定概念をもう一度見直して欲しいのです。いろんなアプローチがあっていいじゃないですか。いろんなタイミングがあっていいじゃないですか。無理に合わせる必要もないです。

たまに、教室の生徒さんからお菓子とか贈り物をいただきます。

確かにお菓子は好きなのでありがたく頂戴するのですが、僕からすると「教室でお伝えしたことを実際に活用したり楽しんでもらう」ほうが嬉しい恩返しです。あとは質問がくると嬉しいですね。お菓子より占いに関する質問があったほうが全然うれしいです。

とは言いながらも、事務所には「お菓子ボックス」というものを設置しております。

これは生徒さんやお客様からいただくお菓子を他の教室の方とシェアしたりするためのボックスです。いただくものはいただく…けれど、別にもってこなくてもいいですよというスタンスだし、僕だけでは食べきれないので皆さんで食べましょう…という感じで設置しています。

※これを読んでいる生徒さんは「フリ」とかじゃないので、本当にお菓子持ってこなくてもいいですからね!気にしなくていいですからね!

ということで

・今一度「自分にとってできる最大限の貢献や恩返しは何なのか?」を考えて欲しい

・いろんな貢献や恩返しの仕方があっていい

・こればっかりはいろんな形がありますから「正解」はないと思うんですよねー

 

ということをお伝えしたかった記事でした。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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