気学実験私見録という本を2020年の12月に出版しまして。
こないだ久しぶりに自分でどんなことを書いたか改めて読んでみたんですが、この本は発禁にしたほうがいいかもしれない内容が結構書かれているなと思いました。
本当のことを素直に書きすぎて、オブラートも何もかもなく「生の状態」で書いた本なので、読む人が読んだら爆発するような内容です。この場合の爆発は「ブチギレる」とか「今までやってきたことを破壊する」とかそういうニュアンスなのですが、爆発するという表現が一番正しいような気がします。「読んではいけない本を書くなよ、出版するなよ」と思われるかもしれませんが、すみません本当にその通りです。
↓冒頭で「大変恐縮です」と謝っておきながら、内容はけっこう過激だと思います。
自分なりにやった結果「わかったこと」もあれば「わからなくなったこと」もあります。偉そうに本なんかを書かせて頂いていますが、僕自身まだまだ「道半ば」です。半分までも到達していないと思います。なので、本書は中途半端な1冊になってしまい大変恐縮なのですが、何かのお役に立つことを願っております。
序論の最後にお願いです。本書に書かれていることはあくまで、僕にしけいが実際にいろいろ検証した結果出した自分なりの答えや考えです。そんな読者の方はいらっしゃらないと思いますが、本書の内容を鵜呑みにしたり、これをそのまま本やブログに書いたり、自分がやったかのように話したりしないでください。本書に書かれていることがすべて正しいとは到底思えません。必ずあなた自身が自分で検証してください。
とりあえず謝っておけば何を書いてもいいと言わんばかりに、謝罪しながら爆弾を投げつけまくる感じの内容だなと、出版して1年経った今改めて思いました。
生の本か死んでいる本か
先日、綾羽氏(@AyabaneK)と飲みに行ってきましたが、ゲーム会社で働く彼は「自分はゲームをプロダクトではなくアートとしてみている」と言っていました。これはどういうことかというと「なぜこのゲームを作ったのか」「なぜこういうゲームにしたのか?」と考える作業が好きで、思索する必要のあるゲームは作り手の意思が入っており、そのようなゲームを「アート」と称していました。(多分)
また、先日天草でお世話になった、みかみ氏(@_mikami_xxx)は自然の岩や岩に打ちつけられる波を観察することが好きで、インディーズからメジャーに移籍したアーティストの作風が変わることを嘆いていました。おそらくこれも「作品」ではなく「製品」になってしまったことを嘆いているのではないかなと思いました。
有機化学では合成して単離精製していない化合物を「Crude(クルード)」と言ったりします。日本語だと「天然のままの、加工してない、粗製の、粗野な」といった感じでしょうか。おそらく、綾羽氏もみかみ氏もこういった「Crude」が好きなんじゃないかなと思いました。
「製品」になってしまうと、どうしても「雑味」「不純物」のようなものが除去されてしまいます。漂白されてしまうんですね。しかし、この雑味や不純物なようなものに、作り手や生み出した人の「意図」や「気持ち」が現れていたりします。
これらが混ざると「なんで?」「なぜこうしたのか?」と考える必要があります。多くの人たちはそういったことを考えたくないんですね。少しでも製品に「考えさせる要素」があると不安になるので、それを除去する必要があるのです。「違和感」を限りなく除去する必要があるんですが、そういった違和感にこそ「人間性」や「楽しみ」があるんですね。
僕の中での「良い本」の基準は「荒削りだし、理解できない部分もあるけれど、著者の独自性が感じられるもの」なんですね。漂白されて、細切れにされて、安全に、安心して読める本は、あんまり興味関心が持てないんですね。「ああ、死んでる本だな」という感じなんです。
この記事でも書いていますが…
易とか相術でもそういった(僕的には)価値がある書籍って本当に数少ないんですけど、どうも実占に踏み込んだ本を書いている占い師さんて「頭が狂ってる」とか「気ちが◯」みたいな扱いをされがちなんですよね。「あの人の本は意味不明だから」みたいな。
周易に関して言えば、教科書的な本が溢れる中、やっぱり実占していくと「全然ちゃうやん」ってことがいっぱいあるんですよ。「周易の言葉通り」になることもあることはあるのですが、やっぱり全然違うこともある。言葉にしてしまった時点で「生の情報」ではないので、解釈や認識の違いが生じてしまうのはしょうがないんですけど、実占家の占い師さんが「これは教科書とは違って◯◯かもしれない!」と自由に書いたダイレクトアタックしてくれるドストレートな本が「間違った本」とか「頭がおかしい人が書いた本」というレッテルを貼って無碍に扱うのは憤りを感じます。
「製品化された本=善」みたいな風潮がどうしてもあるんですよね。でも僕にとってはそれは死んでる本なんですね。ただ、これもたくさん本を読むようになってから感じられるようになったので、もっとインプット量が増えるとそういった「感性」が磨かれていくのかもしれません。
というわけで、そういった意味では「気学実験私見録」は本当に気学業界(?)のプロパガンダ的な内容なので、読む人を選ぶ1冊だと思いますが、個人的には非常に「生き生きしている本」だと思います。(本当に実験・検証したことを踏まえて素直に書いてるだけなんですけどね…)
気学実験私見録のように出版社を通していない本や、生徒にだけ配られた冊子とか、そういう占いの本は大枚を叩いても買っちゃうんですね。そういう本にこそ価値があるんですね。まぁ性癖みたいなものなので、良し悪しとかはなくて好みの問題なんですけどね。
にしけい