タイトルで言いたいことをほぼ言い切っているので、この記事はすぐに終わります。
この本にも書きましたが、僕も線を追いかけていました。名前がついた線から入り、基本線、流年法、線の状態、流れ方…など。
とにかく手相を見まくって、本を読んで、実際の情報とすり合わせて、データを集めて…。
手相講座も数えてみたらこの3年半で800講座やってました。個人レッスンとか補講とか入れたらもっといくと思います。述べ2800人ぐらいだと思います。手相漬けの日々でしたし、今も占い漬けの毎日です。
数字が全てではないのですが、手相についてインプットとアウトプットする場はたぶん他の人よりちょっと多い生活を送っていると思います。
手相に関するブログ記事もけっこう書きましたし、本も何冊か出してきましたが、どれも成長段階という感じです。全然「完璧」ではありません。全然「まだまだ」なのです。
なので、今だったらまた全然違う内容の本を書きます。
今の僕が手相について最も主張したいことは、いきつくところまでいくと手相は「線を見なくなる」ということです。
「いきつくところ」というのは「いかに当たるか」「どうしてそういう意味をもつのか?」を掘り下げて抽象化していった先です。
線はもう見ません。もう線を追う必要はなくなった…というか「線を使ったシステム」ではどうしても説明がつかないことや「わからないこと」が多いはずなのです。
そういった「誤魔化し」みたいなことをしてきた時期もありましたし、それが「誤魔化し」だったということにも気づけていませんでした。
でも常に「なぜ当たらないのか?」を突き詰めて「わからないこと」を「なんとなく誤魔化す」ということをせずに現実を見ていった結果「線は追う必要がなくなった」ということなのです。
で、「手相=線を見る」という洗脳が昔から世界中に蔓延しているのですが「線を見たい人たちは見ていればいいや」と思って手相占いをしている人たちを眺めています。
みんな好きでやっていますから、それが一番いいのです。
悪役の親玉が最後に主人公たちを巻き込んで自爆する前に話すような記事でした…。
悪役感が出たので、せっかくだし記念にこの写真貼っておきます。
にしけい