人はなぜ服を着るのか。
そもそも服は必要なのか。素朴な疑問の答えをいくつかの本を参考に考えてみます。
千村典生の「ファッションの歴史」によると、人間が服を着る理由を3つ挙げています。
1.実用性
寒さ暑さなどから身を守り、人間が快適な生活を営むための体温調節機能。
また、外からの物理的・化学的危害から身を守るため。
2.社会性
着用する人々の職業や身分のシンボルとして。
身分制度のシンボルであるばかりか、自己表現の手段としての服装も考えられる。
3.装飾性
おしゃれのため。美しさの表現のため。
エロティシズム、性的表現の具現化。
さらにここにそれ以外の見解も肉付けして考えてみます。
体の「像(イメージ)」を補強するため
服を着ると、身体を動かすたびに皮膚が布地に擦れる。
身体の動きとともに、身体表面のそこかしこで身体と衣料との接触が起こるのだ。
その接触感が、ふだんはじかに見えない身体のあやふやな輪郭を、くっきりと浮き立たせてくれるのだ。
鷲田清一「ちぐはぐな身体 ファッションって何?」より
人間は自分の身体を想像以上にイメージしにくく、「自分の今の肉体はこんな感じなんだろうな」という曖昧なイメージで生きています。
自分の後頭部を直接視認することは死ぬまで不可能であり、鏡像や画像によるイメージの確認はできるものの、自分の背後を認識することは難しいです。
そのため、人間は「自分の身体の境界線」を認識することで、より自分の身体のイメージを強化できます。
服が守っているのは物理的・科学的な危害からだけではなく、自己の精神安定性保持にもつながっています。
孔(あな)を守るため
呼吸、栄養摂取、排泄…その孔をとおして生命維持に不可欠な物質が出入りする。
ときに、人体にとってきわめて危険なものもそこから流入するし、体内にあるべきものがそこから漏出することもある。
鷲田清一「人はなぜ服を着るのか」より
変な理屈だと思われるかもしれないが、吐瀉物や排泄物、あるいは痰や鼻水、唾などはもともとからだのなかにあったもので、からだのなかにあるときはだれもそれをきたないとはおもわない。
もし便がきたないものなら、年がら年中下剤を呑んで、トイレに駆け込まなければならない。
鷲田清一「ちぐはぐな身体 ファッションって何?」より
服は肛門、へそ、性器…といった孔(あな)を覆っています。
自分の身体の境界線を越え体外へ排出される体液や糞尿は、自分の肉体に漏れ(不備)があるのではないかという懸念が生まれます。
これらは、自らの肉体に「漏れ・欠落がある」というイメージを潜在的に植え付けるため、恐怖・嫌悪の対象となるのではないでしょうか。
すべては「自己の肉体」をより強くイメージさせるために。
不安要素となる孔を塞ぐために服を着るのかもしれません。
肉体は本当は存在しない?
量子力学の世界では「イメージ(認識)されたものだけ存在できる」というルールがあります。
「ある」とイメージできれば「ある」し、「ない」と思えば「ない」
「自分は生きている」と実感できるから生きていられるけど、死んでいると強く認識したら存在できないのかもしれません。
1883年、オランダで死刑囚を相手に行われた残酷な実験。
「人は血液の3分の1を失うと死にます」と言って、死刑囚の親指にメスを入れると血がポタポタと滴り落ちる。
しばらくして死刑囚に「もうすぐ血液の3分の1がなくなりますよ」と言った瞬間死刑囚は息を引き取った。死因はショック死。
しかし、実際出血は止まっており水滴をポタポタと垂らしていただけだった。
フリードリヒ2世の赤子の実験
赤子はどのタイミングで言葉を覚えるのかを調べるため、50組の親子を対象に実験を行った。
実験内容は「話しかけない」こと。また、体に触れるとついつい話しかけてしまうためタッチも禁止。
しばらくして50人の赤ん坊全員が死んでしまった。
ボディータッチは「肉体の境界線のイメージ」を強めるものであり
赤子たちは「自分の肉体があるのかどうかわからなくなって」死んでしまったのかもしれません。
また、死刑囚の実験でも「出血多量」をイメージしただけで死んでしまいました。
肉体とは何なのでしょうか。本当に存在するのでしょうか。もしかしたら、存在していると思い込んでいるだけかもしれません。
そして、この肉体のイメージを強く認識させるためにも服を着ているのかもしれません。
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社会に認められない醜い自分を認識するため
彼女たちは体重を減らしたいからダイエットをしているのではない。
美しくなりたいから、男にもてたいから、新しいファッションが似合うようになりたいから
モデルになりたいからダイエットをし、20kgにも痩せ細って生命までも危険にさらそうとしているわけでありはしない。
彼女たちが深刻に求めているのは、「社会に受け入れられる」こと、それ自体である。
中島梓「コミュニケーション不完全症候群」
だから、社会から送られてくるメッセージや命令にまじめに従おうとする少女ほど、過度に命令に従ってしまうのだ。
鷲田清一「ちぐはぐな身体 ファッションって何?」より
服を着る理由の「社会性」「装飾性」の根源理由に「認められたい」という気持ちがあるのかもしれません。
社会や集団が求めるものと「ズレている」ことを「醜い」と認識し、嫌悪する。
ある意味「醜い」と認識することも、自分の肉体のイメージを作り出す手助けになっているのかもしれません。
「ファッション」「流行」「モデル」といった、規範たちはそういった「社会とのズレ」を生み出し、肉体を強く認識させるために必要なのかもしれません。
ということはダイエットやファッションに多額のお金と時間を費やしている人も
「大丈夫だよ」とギュッと誰かにハグされ「肉体を認識」できれば、これらの行為が止むのかもしれません。
性的に誘惑するため
男子高生の夢とは、異性の性器をどうしても一度見てみたいという願望である。
(中略)
サスペンスの楽しみは、最後に事件の真相があきらかになるということだ。
そして、哲学者の夢、それは世界中の究極の真理を知ることにある。
かれらは同じ物語に囚われている。
いま見えているものの覆いをひとつずつ剥がしていくと、いずれかならず究極の真理にたどり着くという物語だ。
鷲田清一「ちぐはぐな身体 ファッションって何?」より
ちょっとした動きで、パンティまでのぞかれてしまうから、女性特有の羞恥心を必然的に発揮しなければならない。
つまり見せようとするよりも、かくそうとする態度を示す。この羞恥心がまた、女性の美しさを表現する、有力な武器なのだ。
「ヒザ小僧の青春」『週刊サンケイ』(1961年4月2日号)
ベールをめくった先に答えがある。
知的好奇心と性的好奇心は実は同じものなのかもしれません。
知的生命体でありながら、野蛮な動物的な一面も見せる我々人間にとって「チラリズム」は最高の好奇心の対象なのでしょう。
隠すことで強調する。隠蔽することで誘う。服は子孫繁栄のために必要なのかもしれません。
まとめ
夏の暑い日に「服なんて必要なのか」と思い、調べてみましたが
案外「服」というのは僕たちが思っている以上に必要なものなのかもしれません。
「自分」を感じるために。「自分」を残すために。
ファッションというものは僕たち人間のワガママと夢から生まれたものなのかもしれません。
よし、パンツはいて寝よう。
にしけい