おはようございます、にしけい(@nishikei_)です。
手相のことが大好きで手ばっかり見ている気色悪い色白の少年にしけい。
世の中のリア充女性たちが自撮りをアップしたり
いかにオシャレ写真をアップできるかを競うinstagramも
僕の手にかかれば「手の図鑑」と化します。
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正男…。 #palmistry #hand #手相 #手
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今日は大阪にきてます。 力強い原始型と円錐型の手で、土性と木性が80:20ぐらいの割合で内在しているように見えます。営業職に向いていらっしゃるようで、十二支で言うと辰のようなマイルドパワフルさがあります。 #hand #palmistry #手 #手相 #手のことなら無限に話せる
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手に負えないぐらい手ばかり見ている僕ですが
最近、実は手を見ていないのでは?説が浮上しました。
なんで当たるのか自分でもよく分からない
お客さんからよく
「にしけいさんの占いが当たりました」と言って再鑑定の依頼を受けます。
本当にありがたいことです。
「ありがとう、ありがとう」と小声で謝辞を述べながら鑑定の日程を決めるやりとりをしています。
そんなお客さんが過去に僕が鑑定した「鑑定結果を書いた紙」をもってきてくれます。
自分で書いた紙を見直して
「確かに当たっているけど、なんでこのときの僕はこれを予測したんだろう」と自分で疑問に思うことが結構あります。
ここで再度お客さんの手相を見て
「ああ、なるほど」と過去の自分が予想した「理由」を理解できるときもあれば
「あれ?やっぱりなんで僕はこの線ばかりを注意して見ていたんだろう」と思うことがあります。
そうなんです
実は自分でも「なんで当たったのか」が分からないときがあります。
何を見ているのか?
じゃあ僕は、お客さんの手や誕生日から何を読み取っているのか?
僕は手を見ているのか?線を見ているのか?
「なんで当たったのか」が理解できるときは
手や線から忠実に未来を予想しているときです。
しかし、いくら改めてお客さんの手や線を眺めても「よく分からない」ときは
おそらく「全く違う情報」を読み取っている可能性が高いです。
手じゃなくてもいい?
僕はただ「手」という体の部位を通して、未来やその人の性質を見ているだけであって
もしかしたら「手」じゃなくても良いのかもしれません。
ただの「入り口」が「手」なだけであって
本当は手じゃなくても良いのかもしれません。
その人にまつわる情報、空間の記憶情報(時間エネルギー)を読み取るための
「バーコード=手」なのかなという気がしています。
過去にトレビの泉で見てもらった手相占い師さんは
僕の手に手をかざすだけで、全てを読み取っていました。
理論を後付けで説明している可能性が高い
「目に見えないエネルギーを読み取っています」と説明しても
目に見えない世界を信じていない人たちにとっては「とても気持ちの悪い話」だと思います。
それに、こんなことを言い出したら手相教室が成り立ちません。
なので、僕はこの「目に見えない情報」に理論を瞬時に付け加える能力があるようです。
極論を言うと「なんとなく」なんですが
そんなことを言っちゃうと、答えを聞いた相手は理解・納得ができません。
人間の脳と同じで、僕は目に見えない曖昧な世界を
視覚的に理解できる情報として発信しているだけのようです。
気学や風水も「目に見えない世界」を可視理論化する学問
僕が思うに
いろんな占いがありますが、そのほとんどが感覚から生まれた理論だと思います。
人間の「感覚」の積み重ねが「理論」になった。
人がたくさん歩くから、何もないところに「道」ができる。
そんな気がしてならないのです。
「理系と文系」とか
「理論と感覚」とか
「男と女」とか
対極に位置しているものも突き詰めて掘り下げていくと同じなのかなって思います。
入り口が違うだけで、結局行き着くところは同じ。
自分が掘り下げやすい穴から掘ってみる。
とにかく自分が掘りやすい穴を探す。
それが何かを極める上で重要なのかもしれません。
「浅く広く」も「深く狭く」も掘っている体積は同じなんですから。
それにしても理系・理論派を売りにしている「にしけい」が
感覚を使って占いをやっていたなんて…
穴があったら入りたい にしけい