最近は開催していないのですが、過去に東京・大阪・名古屋・京都などで続き物の占い講座を開講してきました。毎月、決まったメンバーで顔を合わせる。近況報告をしたり、お菓子を持ち寄っておしゃべりをしたり。
すると、いつの間にか生徒さん同士でつながりができていて、飲みに行っていたり、中には交際にまで発展したり。教室が始まる前に、そのクラスのメンバー全員で焼肉に行っていたという回もありました。やたらみんなニンニクの香りとツヤツヤした顔で授業を受ける。素直に「いいな」と思いました。
授業が終わった後に皆さんでファミレスで遅くまでおしゃべりしたり、旅行に行かれるクラスもありました。
なぜか似た傾向(全員主婦の方、全員男性…)の人たちが集まる場合もあれば、全く共通点がないクラスもあり、それを観察するのも僕の楽しみのひとつでした。
年齢を重ねると、意識しないと人間関係が希薄になったり、固定されたりします。段々と人との繋がりが弱くなっていきます。この場合の「人間関係」というのは「立場を飛び越えたつながり」です。
立場は火・個は水
家族、学校、会社、家族、町内会の集まり、PTA、地域の活動…社会生活を営んでいく上で役割や立場が生じる場面が多いです。こういった「立場」は「固定化」されやすいです。そしてその立場を失うと「社会とのつながり」がひとつ切れてしまいます。ポキッと折れやすいんですね。その役割が終わったり、ちょっとしたことで切れてしまう。家族や恋人関係ですら、です。
しかし、「立場を越えたつながり」は柔軟性があります。「個人と個人」のつながりで、非常にウェットなところがあります。「腐れ縁」なんて言ったりしますが、腐敗には栄養・水・温度が必要です。水分を含みまくりのビチャビチャでドロドロの関係なんですね。逆に「立場の関係」は「火」のようなところがあり、いわゆるドライな関係になりやすいです。
個人同士の水っぽい関係なのか、立場ありきの火っぽい関係なのかは、これも曖昧なところがあります。しかし、判断するのは簡単です。「立場抜きで、裸での付き合いができるか」です。立場抜きでざっくばらんに、気を遣わずに接することができるか。これが「立場を越えたつながり」かどうかを判断するポイントだと思います。(もちろん度合いがあって曖昧ですけどね)
たぶんなんですけど「個人同士」ではなく「恋人同士」や「惚れた方惚れられた方」という「立場」が偏重になると、ポキッと折れたり、関係が切れたりしやすいんだと思います。演じたり、着飾ったりするのは想像以上に消耗するのだと思います。元気でエネルギーが有り余っていたら演じるのもいいけどね。
— にしけい (西田 圭一郎) (@nishikei_) September 9, 2022
中2の頃「子は鎹(かすがい)」というタイトルで夫婦関係について作文を出したら、担任の先生から呼び出されて「お前の家、大丈夫か?」と心配されたのを思い出しました。案の定両親は晩年離婚しましたが、仮面夫婦感に子供ながら違和感を感じていたのかもしれません。役割でのつながりは固いけど脆い。
— にしけい (西田 圭一郎) (@nishikei_) September 9, 2022
趣味っていいかもね
こういった「立場を越えたつながり」を作る上で、冒頭に述べたような「占い教室」が一役買っていたように、「趣味」や「共通の話題」というものがあると「立場を越えたつながり」を作りやすいのかもしれません。
何度も言いますが、意識しないと職場と家の往復になったり、「お母さん」という立場が板について離れなかったり…立場というマスクをはずして「生の自分」を出せる場が減ってきます。
「生の自分」の自分というのは「生きている自分」であり「自分としての純度の高い部分」です。こういった部分が少しでも出せる「場」があると、日々の乾いた生活に、潤いや豊かさが与えられるのかもしれません。
趣味が合うというのは「類似性」があります。また、教室のような場だと「近い方向性」を向いた人が集まりやすいため、ここにも親和性が生まれます。また、「先生」や「授業」という共通の話題ができるため、これも共通の話題を生み出します。
「立場」という縛りがあるから頑張れることもあるかもしれませんけど、やっぱりそれってどこかで無理しているんだと思います。「生の自分」に何重にもマスクやお面をかぶって、息ができなくなって、苦しくなってきます。
「趣味」でも集団の規模が大きくなったり、組織化するとそこにも「立場」が生まれます。純粋に趣味を楽しみたいだけなのに、上下関係や派閥などが出来ると、せっかくの「生の自分」が出しにくくなります。なので、僕は小規模な集団で上下関係が起きにくいシステムを採用する場を構築するほうが、最終的に長続きするような気がしています。
「立場」という縛りがあったほうがやりやすい…という人もいると思います。しかし、それは結局「縛り」に依存し続けることになります。人によって豊かさや幸せの尺度は違いますが、なんだか「立場」でガッチガチに武装している人を見ると、不幸そうな人が多い気がします。
僕も立場を捨てよう
せっかくいろんな地域に行くので、いろんなところで定期的に開催する占い教室、再開しようかなーと漠然と考えています。やるとしたら、少人数でもいい。むしろ、少人数のほうがいいと思ってます。
どうしてもオンラインのほうが楽だし、少人数だと「赤字になるかも」とか、リアルだと「交通費とか場所代かかるしなぁ」とか考えると、踏み出しにくいものがあったのですが、ここは僕も「立場」を捨てて、開講しようかなと考えています。税理士さんやスタッフから「ちゃんと計算してください!」とツッコミが入るかもしれませんが、やってみますかね。「立場を越えたつながり」は打算を越えたところにあると思いますし。
「教室」って「学ぶだけ」が目的じゃないですし、結局「細くても長く学び続けた人」のほうが、最終的に伸びますしね。特に僕の講座は理解するまでに時間がかかるものが多いので、そのほうがいい気がしてきました。
そのほうがいい気がしてきました。
そのほうがいい気がしてきたよ!!
にしけい