あいた時間を利用して数学と物理を勉強し直してします。高専大学と数学物理には浸ってきたはずなのですが、やはり大人になって学び直すといろいろな発見があります。ヨビノリたくみさんという方の動画が非常にわかりやすくて、改めて「わかりやすさ」の重要性を痛感しています。
卜術は微分
さて、今回のブログは少し数学絡みです。改めて微分積分を勉強し直してみると「微分は卜術なのだな」ということに気が付いたので少し書いておきます。微分は特定の関数の中の特定の部分を限りなく範囲を限定して(無限にゼロに近づけて)見た時の「傾き」のことです。図示した時に曲線になる関数でも特定の範囲をより細かく切り取ると直線になります。回転寿司で寿司が流れている状態が、積分した状態。線的です。そして、流れてくる寿司をパッと取った瞬間を切り取る行為が微分です。かまぼこを切る、切片が傾きであり、卜術です。
パラパラ漫画をパラパラーっとめくっている状態(アニメ)が「線的」で、そのパラパラ漫画の1コマが点的であり「微分」であり、これが卜術です。立卦して得た卦、引いたカード、これは特定のテーマ(問い)に対して微分しているわけです。
用いる術や術者によって変わりますが、原始的な卜術は断片度が高いです。カエルという対象物を見る時に「足の指の一部のみ」が画面に映るようなイメージです。足の指の一部のみが見えるような断片度が高い状態では、爬虫類?トカゲ?角?手?足?というようにカエルなのか何なのかもわからないかもしれません。
大衆性の高い占いの書籍などでは「足の指の一部が見えたら、カエル・トカゲ・ヤモリです」というような例の羅列をしたものが多く、断片的情報にラベリングをしてわかりやすくしています。それっぽい理由をつけたラベリング例集って感じです。(こういう本の方が売れやすいです。これについてはまた別の機会でお話していきます)
何が言いたいかと言うと、卜術は微分であると同時にシンボルそのものは断片化された情報だということです。つまり、得られたシンボルを「どの角度から?」「どの部分を?」断片的に切り取ったのかを見極める必要があります。同じカエルでも観察する角度やパーツが変われば、全然印象が違います。
カエルの例では少しわかりにくかったので、漫画の例で要点をまとめておきます。
漫画全体=ストーリー=積分=連続的=線的
漫画の1コマ=断片的=微分=瞬間的=点的
卜術は漫画の1コマを切り取って「この漫画がこの先どうなりそうか?」を占うわけです。
全体を意識する
例えば「バイキンマン(悪役)がニコニコしているコマ」が切り取られたとします。
このコマが果たして「アンパンマンの話全体の中のどのあたりのコマ」なのかを想像して推理する必要があります。
バイキンマンがニコニコしているということは、バイキンマンが登場した瞬間なのでしょうか?アンパンマンを苦しめて喜んでいる場面にも見えます。もしくは実はアンパンマンたちと仲直りして最後に笑っている…というストーリーなのかもしれません。このコマがそのテーマ(ストーリー)のどの部分なのかをきっちり推理しないと、良くなっていくのか悪くなっていくのかが予測できません。
「むかつく上司がいます!この先この上司とどう付き合っていく必要がありそうでしょうか?」と聞かれて、バイキンマンがニコニコしているカードが出たとします。バイキンマン=上司と見立てたときに、上司が喜ぶ場面…と考えると嫌な状況なのか…?という連想もできます。しかし、上司が依頼者と仲良くなってニコニコしている…とも考えられます。はたまた、もしかするとこのバイキンマンは上司ではないかもしれません。上司とあなたのやりとりを見てこっそり楽しんでいる会長の存在を示唆するものかもしれません。もちろん実践の場面では出てくるシンボル(コマ)は1つだけではなく、複数のシンボルやその関係性などを考えながら推理していきます。しかし、それが「どの場面」なのか「どの角度」を切り取っているものなのか、全体を考えながら推理していかないと予測が大きくハズレてしまいます。
これは卜術だけに限らず、相術も同じです。手や顔を見て「どの部分を切り取ったものなのか」を考える必要があります。手とは何なのか?顔とは何なのか?そういったことを考えていく必要があります。相術は卜術であり、相術は卜術です。シンボルをどう出現させるかに限定すれば別々の術とすることができますが、実際やっていくと境界線がないことがわかります。正直、実践を積んでいくうちに術と術の境界線はなくなっていきます。
傾き=0を意識する
話が少しそれてしまいましたが、もう少し微分の話をしていきます。
良くなっていくのか・悪くなっていくのか。これはとても気になるところです。「捉え方次第」と言ってしまえば、それまでなのですが、「社員1000人をクビにして、破産することになります」という予測結果が出た時に、にこにこしながら「捉え方次第では吉ですよ」とはさすがに僕は言えません。たくさんの人たちが関係すればするほど「縛り」が強くなり立場が「固定」されていきます。ややこしくなればなるほど、意思が重れば重なるほど、立場が固定されていきますので「捉え方」が固定されていきます。テーマによっては「捉え方次第」で良いかもしれませんが、さすがにそんな言葉では済まされないテーマもたくさんあります。
株や為替でも上がっていく途中なのか、下がっていく途中なのかを知りたいわけです。株や為替の値が上がって喜ぶ人・悲しむ人がいますが、下がっても喜ぶ人・悲しむ人がいます。立場が固定されていない、もしくは上がっても下がっても致命傷ではない人(弾力性が高い状態)にとっては「捉え方次第」なわけですが、立場が固定されて、特定の事実が致命傷になる人(弾力性が低い状態)にとっては、捉え方が固定されていきます。そもそも「捉え方」を議論する前に、「上がっていく」のか「下がっていく」のかをきっちり予測できないと、どう捉えるか…という議論も無駄になってしまいます。雨が降るのか槍が降るのかによって「心構え」が違ってきます。準備するものも変わってきます。
良くなっていくのか・悪くなっていくのか。これを見極めるには微分後、「dx/dt=0」になるタイミング、つまり「傾き=0」になるタイミングを見極める必要があります。株や相場と同じように「傾き=0」は「ピーク」と「どん底」を指します。関数の方向性が変わるタイミングです。このときも「全体」を意識する必要があります。その全体が「どこからどこまで」なのかを明確にする必要があるのです。
何度も言いますが、卜術は微分です。その傾きがどの範囲に存在する傾きなのかを明確にしないと、よくわかりません。ニコニコしているバイキンマンのコマがどこのコマなのかを判断するには、アンパンマンの何話目なのか?何の話なのか?を限定する必要があります。(もちろん同じ話にバイキンマンがニコニコするコマが複数ある場合も考えられます)また、梅花心易や顕現相術などの講座でもお伝えしていますが、その事象の「dx/dt=0」(ピーク・どん底)と全体を意識しながら、占うことでより占いの実用性が高まっていきます。今日はそんなお話でした。
余談。僕は占いを「いかに実用面で役に立たせるか」を重視して研究しています。僕は高専からずっと工学部ですが、その中でも熱力学が好きです。(専攻していた有機化学や高分子化学も好きですが)熱力学は「経験則」から法則が生まれている…という物理学の中でもちょっと変わった分野です。(もちろんどの分野も実験による法則性の正しさの確認はされてきています)「とりあえずやってみる→規則性を掴む」という流れは、スマートではないかもしれませんが、今の自分の占いに対する考え方の根底に熱力学のスタンスが根付いているような気がします。
たまに理系っぽい話をしておかないと、自分自身忘れそうになるので、今後数学や物理を復習する中で発見があれば書いていきます。それにしても勉強するのって何歳になっても楽しいもんですね。数学、物理、化学、歴史…またきっちり基礎から学び直していこうと思います。今日のブログのdx/dt=0(ピーク)はタイトルで既に達していたことを反省して寝ます。
にしけい