悲鳴をあげる筋肉と連動性と占いの話

パーソナルトレーナーさんから聞いた話。

「筋肉の連動性」について。

何かひとつの動作をするにしても、1つの筋肉だけを使っているわけではなく、複数の筋肉が連動することで1つの運動を生み出している。

例えばボールを投げるときでも、腕の筋肉だけではなく脚や背筋といった複数の筋肉との「連動性」がスムーズでしなやかになれば、より遠くまで投げることができる。

 

「もっとも連動性が必要な運動はどのようなものなのでしょうか?」

「シンプルに”走る”だと思います」

 

なるほど。連動性。これは思い当たることがたくさんある。

普段動かさない筋肉を使うと、途端に悲鳴をあげる。

「にしけいさん、あと3回!ナイスポーズです!いいですよ!狙ってますよ!ここの筋肉、ちゃんと狙えてますよ!そう!そこだ!あと2回!いいですね!ラストしっかり深く決めましょう!…はい!おつかれさまです!」

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!ちょ、これは…はぁ、はぁ、はぁ…」

「はい、じゃああと20(kg)増やして、もうワンセットいきましょう!」

「えええ〜〜〜〜!!もうこれ死にますって…!」

「死にませんよ!まだこれはアップですから!(^^)」

 

本当に普段使っていない部位を狙うのは本当にきつくて、ついつい自分がふだん使っている得意な筋肉に逃げていることを実感する。五角形とか六角形のパラメータで言えばへこんでいる部分をぐぐぐっと引き伸ばそうとすることになる。

普段使っていない筋肉を動かすことで「連動性」の幅が広がる。

普段使っている得意な筋肉を動かしていてもそれは「疲労」につながる。

これもすごく気学に通じる部分がある。筋トレをしながら気学を感じるなんて。そして、連動性が向上した肉体は我ながら美しさを感じる。相として、形に現れる。なるほどなるほど。我流で筋トレをやっていたころとは大違い。おそらく得意な筋肉ばかり攻めていたのだなと、今ならわかる。

「連動性」は占いにも通じるところもある。ひとつの要素だけを見ていても当たってこない…というか、出てくる答えがぎこちなくて機械的になる。

本当に最初の占いを1つかじり始めた時に起きる。おそらく誰もが通る道だと思う。狭い狭い筋肉1部位で勝負する。じゃんけんで言えばグーしか出せないような。そんな荒削りな時期。そこで試行錯誤していくうちに他の筋肉が動き出す。さらに「他の筋肉が必要だな」と痛感させられる。

このあたりは実践をやっていないと実感できないかもしれない。

いくら理論をインプットしても「連動性の必要性」は感じられなかったりする。これはポケモンのバトルとも似ている。ポケモンはオンラインとかで対戦すると本当に1体のポケモンに全滅させられたりする。実践して初めて弱点がわかる。至らぬ点がわかる。理論はゴミだなと思うときもあれば、理論を欲するときもある。

こういう試行錯誤ができるかがある意味その分野への才能とか適性なのかなと思う。

試行錯誤を試行錯誤だと思わず「ゲーム」のように楽しめる。これが才能なのかもしれない。けど、こういうのは「ある程度」やってみないと「楽しさ」が見えてこなかったりする。何でもそうだと思うんですけど、最初からうまくいくことのほうがマレです。

普段使っていないマニアックな筋肉を揺さぶるように「初めて」のことはやっぱり最初はキツい。けど、使っているうちに慣れてくる。

「じゃあなるべく広くいろんなことに手を出したほうがいいんですね!」

これは一理あるけれど、逆に何にも到達しない事態を招いたりする。

確かに「連動性」を考えるとたくさんの部位の筋肉を動かした方がいい。いろんなことをかじる、手を出す。それはいいこと。でもそれぞれの「掘り下げ」が浅いと「つながり」が見えてこない。

これはいろんな筋肉の部位をほんのちょっとずつ動かすことに似ている。いわゆる「さわり」というやつです。

トレーナーさんと僕の情けないやりとりを先ほど書きましたが、ポイントは「ひゃ〜〜〜!きっつ!」と思うまでその部位をやること。つまり「さわり」だけだと「つらさ」がわからない。「つらさ」がないと、試行錯誤がうまれないからその分野の掘り下げにつながらない。

占いでもいろんな占術に手を出すことは別にいいと思うし、僕もいろいろ手を出しています。

けど「きっつ!何これ!」を超える経験をある程度しないと、筋肉が連動するまでに至らない。

そしていろんな筋肉を動かすうちに「何かひとつ」に収斂していく。

複数の筋肉を使って「走る」という1つの運動を作り出すように、複数の要素を綜合して「何かひとつ」になっていく。

おそらく僕の場合は相術に収斂していく気がするし、実践でやっぱり一番使っているのは相術だったりする。でも、そのバックグラウンドにはいろいろ勉強したり、経験した筋肉たちが存在する。

複数の要素を複雑に絡めているから、例えば建前上は「相術」でもあれやこれやといろんな要素が入った見方になる。そうなってくると、それって「相術なの?」という風に見えるかもしれない。これは他の術でもいっぱいある。いろんな術(筋肉)を「うひゃ〜〜!」と叫ぶまで鍛えた人の術は「何をやっているか」「何を言っているか」わからなくなる。そうやって「その人にしかできない世界」が出来上がる。

これは占い以外の分野でも言えると思うんですよね。

建前上「パン屋」といいながら、美味しいカレーパンを提供するには「カレーの研究」も必要だし「発酵」とか生物学の研究をする人もいるかもしれない。

だから「パン屋」という「表面的な部分」にのみとらわれていると、その人が裏で何をしているのかがわからないし、本当に大事な部分は見えない部分にあることがよくある。見えないというか見えているんだけど、当たり前に自然にこなしている部分に詰め込まれているというか。

過去に書いてる記事で近いものがこれかなー。

「”賢く見える風”のガラクタを集めて着飾ってもあんまり意味ないよね」って話

 

全身に筋肉痛を感じながら、お送りしました。

筋肉後天定位盤作るぞ!!

にしけい

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