賛否両論あるに決まっているし、賛否”極”論のほうがいい

 

高校生のときに初めてホームページを作ってからというもの

この15年間何かしらWeb上に発信し続けてきました。

「発信する前にためらっていた時期」もあったんですが、今は全く気にならなくなりました。

「後先考えていない」のではなく、「後先考えた結果」発信していいなと考えるようになりました。

 

ドリカムの歌詞のようなブログしか書かない人たち

 

少し前に「ドリカムアレルギー」という言葉が話題になりました。

ドリカムの曲がキラキラポジティブすぎて眩しくて聞くのが辛い…という拒否反応です。

ラジオとかでも「本音」を出さずに綺麗事を原稿通り話すパーソナリティさんの番組ほどおもしろくないのと同じで

「そうそう、そりゃおっしゃる通りなんですけどね」とツッコミたくなるような発信物って取っかかりのないボルダリングみたいで全く面白くないんですよね。

 

凸凹があるから、つかみどころがうまれるわけで、冷蔵庫も凸凹があるから開けるし、凸凹があるから点字が読める。

フラットでツルツルなモノって、美しいんだろうけど、すごい非情で、どこまでも無が続く無限地獄って感じで、悪意を感じることすらあります。

デコボコがあるから、人間が発信する価値がある。なのに、その人間らしさをわざわざ削ごうとする人がいます。あんなに綺麗にツルツルに磨かれたドリカムでさえ、賛否両論あるのに、中途半端に磨いて出すぐらいなら、荒削りのままで出した方が価値があります。

平安時代に書かれた源氏物語なんて、主人公がヘドが出るぐらいクズなのに、1000年以上も時を超えても読まれていますし、教科書に載るぐらいです。

当時、紫式部が読む人たちの目を気にしていたら、こんな作品を残せたでしょうか。

「フィクションとノンフィクションは違い、ノンフィクションは書き手への直接的な人格否定に繋がるからダメなんだ」と思われるかもしれませんが、否定されて何がダメなんでしょうか。

 

「否定」こそ最大の愛

 

過去にamazonでkindle本を何冊か出版したり、Youtubeで動画を配信したりしてきましたが

何をしても否定的な意見を述べる人って一定数いるんですよね。

でも「否定的な意見」が引き出せただけでも、僕は十分勝ちだと思います。なぜなら、そのコメントが生まれている時点で、そのコメントをした人は「にしけいパーク」に入場してしまっているからです。

 


 

ディズニーランドに行ったあと

「ディズニー最高!」と肯定する人も

「ディズニーランド、全然楽しくなかった」とディズニーランドを批判する人も

どちらにせよ入場料を払ってディズニーランドに入ったということには変わりないわけで、肯定しようが否定しようがディズニー側としては「勝ち」なんですよね。

 

自分が出したアイディアを一度は人から笑われるようでなければ

独創的な発想をしているとは言えない

ビルゲイツ

 

「賛否両論あると思いますが」という枕詞は当たり前のことを書いているにすぎず、一種の「保身の言葉」です。

賛否両論あって当然ですし、むしろ賛否”極”論であった方が愛で満ち溢れています。

 

僕はもっともっと愛されたい、いやしんぼうなのかもしれませんねェ。

僕が噛んだガムをあなたの心に押し付けて立ち去る。

そんなブログをこれからも書いていくよ。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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